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ストーリー「気高い君が欲しい」 ⑥ 美咲の素行

最近の美咲は前にも増して仕事に夢中だ。

先日のアメリカでのプレゼンテーションも大成功に終わり、最終日の全体会議ではスタンディングオベーションが起きたほどだ。

美咲は今朝も48階のオフィスには誰よりも早く出社をしテキパキと仕事を進める。

いつも使っているデスクはハーマンミラー社イソスペースのシステムデスクで無駄がない。

資料やファイル、思案構想図、一昨年のどのクライアントとのやり取りも即座に取り出すことが出来る。

座る椅子は同じくハーマンミラー社のイームズ・ソフトパッドグループ・エグゼクティブチェアだ。

ピカピカに光ったアルミニウムフレームに5㎝厚のレザークッションが施してあり、一見、ゆっくりくつろいで座れそうだが、実は正しい姿勢で座り正確に仕事をこなせるようにすごく真面目なポジションになっている。

デザインはチャールズ&レイ・イームズで30年間変わることのない永久的なデザインをしている。

文具にもこだわりがあり、イギリス製の高級なノートにオバマ大統領も使っているというクロスの万年筆。

美咲の細く長い綺麗な指先がこの万年筆を握るとすでに広告で使えそうなビジュアルだ。

そして万年筆で書く文字も繊細だ。

まるで炭筆で書いたかのように濃淡とグラデーションがあり、しかも誰でも読みやすくかつグラマスで伸びやかに描かれている。

美咲を知らなくても、この直筆の文字を見ただけで美咲の容姿がかなり正確に想像出来るはずだ。

仕事中のデスクの上は資料などで混雑しているが、退社する前にはきちんと整頓されていて誰よりも机の上には物が乗っていない。

また美咲は周りの同僚へのさりげない気配りも怠らない。

自分の仕事以外に同僚みんなのプロジェクトにも積極的に参加している。

同僚のみんなもそんな美咲の活躍に心から賛同していた。

美咲は週に二日ほどオフィスビルの近くのスキンジムというスポーツクラブで加圧トレーニングをしている。

もちろん運動不足を解消も出来るが女性としてのプロポーションづくりにも気を配っている。

今は季節が冬であるが春になると美咲の引き締まった二の腕やふくらはぎがみられるはずだ。


美咲は仕事場では全くと言っていいほどプライベートな面を決して出さない。

いつ何時でもクールにシャープな顔つきで仕事を進める。

このヒルズタワーには他にも沢山の一流企業がオフィスを構えている。

美咲がビル内を歩くと男性達の目はみんな彼女に釘付けになる。そしてため息をはく。

そんな女性として大変魅力があるのだが、オフィスでの立ち振る舞いは常に毅然として油断がない。

そんな美咲にモーションをかけられる男はほんの一握りのはずだ。

彼女が「気高い」と感じられるのはそういうところからだろう。


そんな美咲だが、心の中は本人以外誰にもわからない。

だから筆者である私が美咲の心のほんの一部をこれから書いていこう。


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今日は日が暮れて太陽が沈む寸前にマンションに戻った。

明治屋ストアーで買ったひとり分のディナーの食材をキッチンの脇のワゴンに乗せ、電気のスイッチを入れるとお気に入りの椅子がハロゲンライトに照らされた。

お腹も軽くすいていてひとり暮らしのとっておきの時間だ。

夕まずめの心地いい時。

を過ごすはずだったが美咲はあの拓也に逢ってからというもの、心の中は穏やかではない。

拓郎と、うり二つの男性。

オフィスで仕事中の強気でやさしい話し方、箱根のホテルでのパーティでの横顔、自由が丘でのディナーの時、自分を見つめる拓也の表情。

どれをとっても拓郎にしか見えない。

あれから8年の時が流れ、大人になった拓郎そのものだったのだ。

美咲の中で想像もつかない思いが膨らんでいる。

いつもはこのひとりの時間を有意義にすごすのだが、今日はひとりになりたくなかった。

美咲の胸にぎゅっと絞り上げるかのようなこの感覚。

その感覚を認めるたびに、鼓動する心臓の音。


美咲はとりあえずピノノワールのワインをグラスに注ぎ口に含むことなくテーブルに置いて服を脱いだ。

美咲のしなやかな身体が夕まずめのブルーなガラスに映り込んでいる。

自分の姿をそのガラスで確認しながら暮れてゆく街景色に視線を移した。

それからバスルームへ行きシャワーを浴びた。

美咲はシャンプーや石けんを決して使わない。

石けんを使うと体の油分を奪うためカサカサになる。そしてそれを補おうと体内から余計に油が出てしまい今度はべとべとになる。

いわいるホメオスタシスが働くわけだ。

美咲は自然素材のタオルで皮膚の表面をやさしく摩擦し流した。


シャワーを終えバスローブに着替えた美咲はほどよく空気に触れたワインを一口、口に含んだ。

ピノノワールのやさしい香水みたいな香りが美咲の鼻の奥を通りすぎる。

それからキッチンでこのワインに合う料理を創作し始めた。

今回はパルマ産の生ハムをリンゴに巻き、オリーブオイルをかけ岩塩をまぶし、ブラックペッパーの粉を横に添えた。

メインはクスクスのパスタだ。

昨日、料理した鶏ガラスープに完熟トマトを混ぜ、なすびがとろけるまで煮込み、セロリと香草を付け加えた。

料理が全部仕上がりテーブルへ運ぼうとしたとき、携帯が鳴った。

「はい、もしもし、橘です。」

「福山です。今、よかったかな?」

直希からだった。

「はい」

「この前のシリコンバレーは最高だった。たった今、クライアントから電話があり取引が成立したよ!」

「え〜嬉しい。あ〜よかった」

「美咲君。君のおかげだよ」

「いいぇ〜」

「真っ先に君に報告がしたくて」

「ありがとうございます」

「今、今日これからどうしてる?」

「えっ」

「この成功に今から祝杯を挙げないか?」

しばらく美咲は間をおき

「たった今、ひとり分の夕食を作ったとこなんです」

軽く断ったつもりだった。

そしたら直希はすかさず

「今からそっちに行っていいか?」

「……」

「君のマンションに」

美咲は少し考えて

「どうぞ、いらしてください」

「よっしゃ!」

思わず直希は発声し電話を切った。

美咲が異性をマンションに招き入れるのは初めてだ。

社長である福山のことを心の底から信頼している。

それはお互い仕事のパートナーとして築き上げられた信頼関係だ。

福山の気持ちは分かっているが美咲が受け入れない限り、マンションの部屋で二人っきりになっても無理矢理なことは決してないと信じている。

美咲は再びバスローブから服に着替え直した。


45分後、チャイムが鳴った。

インターホンの小さい画面に直希の嬉しそうな顔が映っている。

「どうぞ〜」

一階の自動ドアが開いた。

エレベーターに乗り込む直希。

彼にとっては最高の瞬間だ。

その数秒後、ドアをノックする音。

「いらっしゃい」

美咲が直希の顔を見て微笑んだ。

「お邪魔します!」

直希の顔は幸せそのものだ。

直希の右手には青山のロアラブッシュに無理矢理頼んだフレンチの惣菜を抱え、左手にはモエ・シャンドンのロゼが握られていた。

美咲の部屋は今まで想像もしたことのないようないい匂いが漂っている。

純白のムートンスリッパに足を入れ部屋の中へと入った。

「ここが美咲の住まいか〜、素敵だ」

「そちらにどうぞ」

「さっそく乾杯だ!」

直希がシャンパンの針金をゆるめ美咲は細長いグラスを2脚用意した。

「今回のプレゼンの成功に乾杯!」

「乾杯!」

美咲も本当に喜んでいる。

料理をお皿にほどよく並べ二人は心地いい夕食をとった。

完全に酔った二人は十分に仕事の事や人生感を話し合った。

時計の針はもうすぐ11時にさしかかっていた。

「ところで美咲、今、付き合っている人はいるのか?」

ダイレクトに直希は酔った勢いで訊ねた。

誰もいないという答えを確信しながら。

すると美咲が

「付き合っている人はいませんが、好きな人がいます」

と答えた。

直希は飲んでいたサンペレグリノの炭酸が鼻へ逆流した。

「え」

直希は男として今夜、決めてやるという思いが崩れ落ちる瞬間だった。

その相手は自分ではないことぐらいはすぐに分かる。

急速な勢いで直希のテンションは下がったのだが、目の前にいる美咲に悟られないように嘘っぽい笑顔で

「そうか〜どうりで仕事もリズムが今までにも増していいと思ったよ」

と返した。

美咲は直希に思わず本心を言ってしまったことに少し後悔しながら、しかし仕事のパートナーとして伝えておきたいという気持ちが自然に言葉を出したのだ。

直希は持ち前のポジティブな精神で気持ちを切り替え、約1分間のめまいから立ち直った。

腕時計をみながら

「もそろそろ引き上げるか」

といい席を立った。

下りのエレベーターの中で直希はそのまま地球の裏側まで落ちるのではないかと思いながら1階のランプが点灯するのを見つめていた。

そしてその相手は誰だ?いくら考えてもその人間は頭に浮かばなかった。


一人になった美咲はさっきまでぎゅっと締め上げていた胸の痛みが少し楽になったことに気づいた。

もちろん、その痛みは直希が代わりに受け継ぎ持って行ったのだ。


拓也は親友である美紀の彼氏だ。

その人のことに思いを寄せるだけで美紀にわるいと思ったが、心の中だけなら許されやしないかと美咲にとっては珍しくいい加減なところに心を落ち着けた。
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by charvy | 2010-04-22 23:14 | 小説

ストーリー「気高い君が欲しい」 ⑤ もうひとり

「ねぇ、キスして」

バスローブに身を包み細身でロングヘアー、日本人離れした女は、夕暮れの高層ホテルの窓際に佇む 福山直希の傍らでささやいた。

福山直希とは歳は36歳にして、六本木のヒルズ森タワーにある、美咲の勤めるコンピューター会社の社長だ。

身長は180センチに少し届かないくらいで、色白でショートヘアー、仕立てのいいイタリア製の黒いスーツを着ている。

左腕にはフランクミュラーの腕時計を付け、首筋にはシャネルのエゴイスト・オーデトワレの香りがかすかに香っていいる。

車は複数所有していて今日はホテルの地下駐車場にイタリア製の2シータースポーツカー、水色のカリフォルニアを止めている。

今日は蒼々に仕事を片付け、午後5時のまだ明るい時間から青山にあるロアラブッシュというフレンチで早めのディナーを食べ、都庁横のパークハイアット東京の53階パークスイートという部屋にいた。

彼の好みは高いところ。仕事はもちろんプライベートでも妥協がなく常に高みを目指していて、普通では想像も出来ないスケジュールで「事」を動かしている。

今日のいきなりのデートもそうだ。

朝8時30分からセクションごとの社内会議が4本続き、昼食もとらず午後2時からずっと社長自ら商談し、取引先との折衝が折り合わず午後3時半には退席、

また次の取引に対してイメージを膨らませながらそれと同時に彼女と連絡をとり、彼なりに男の心の安らぎと落ち着き、そしてパワーを充電しようとしていたのだ。

明日は朝から成田。アメリカのシリコンバレーに飛ぶ予定だ。



「さっきから黙って、」

その女はいつものごとく、会っていても仕事のことから頭が離れない直希にいつものように話しかけていた。

どう見ても純粋な日本人の女性には見えない、とてもエレガントな白人っぽい雰囲気をもっている。

「ねぇ」

直希はいきなりその女を少し荒々しく抱き寄せベッドに押し倒しバスローブをはがした。

そしてしばらくしてシャワーを浴び、ルームサービスでブーブクリコを頼んだ。

バルコニーでたばこに火を付け、テーブルの上の桃の実を舌の上に乗せしばらく香りを楽しんでいた。

しかし今日の直希はちょっと違っていた。

実は直希は先ほどのクライアントとの取引や仕事のことで考えていた訳はなく、ある女性の事を想っていたのだ。

その女性とは部下である、橘 美咲 。

3年前、入社以来めきめき力を発揮してきた美咲に心身共に惹かれていたのである。

直希が美咲にモーションをかけ始めたのは1年くらい前からだ。

色んな常識や哲学、想像力と表現、どれをとっても男としての考えはほかの男を圧倒していた。

美咲もほぼ互角に物事を考える事の出来る女性だ。

もちろん相当な美人だし、気高く品がよく、気配りがきいて頭脳明晰。周りへのさりげない気遣いなど、直希が好きになる理由はいくらでもあった。

そんじゅうそこらの男性が恋いをするのとは訳が違う根拠のある想いだった。

人生のレールが同期していると感じたのだ。

そして明日からのアメリカ出張は社長の独断で美咲を同行させていた。



成田の南ウイング。この日は風が強く自動ドアが開き閉めするたびにスポット的にロビーの空気が揺れていた。

リズミカルな発信音の後に続くエアポートの案内放送。

直希は手荷物を預けたらさっさと秘書を帰らせた。

すぐ隣にいる美咲は仕事に夢中で余念がない。

空港ロビーでも出張先でプレゼンする内容や英語に言葉を置き換えた時の伝わり方などを繰り返し声に出し発声したり

辞書を繰ってもっとふさわしい言葉をさがしている。

そんな美咲の横顔に直希はたまらなく愛おしくなるのだ。


二人は機内は相変わらずケミカルな匂いが漂い、人間の文明最大の発明、鉄のかたまりの飛行機に搭乗した。

飛行機の小さな窓から赤青白にペイントされた翼が見える。今回の飛行機はアメリカンエアラインだ。

機内放送が5カ国語で繰り返し流れてきた。エンジンの音も強さを増している。もうすぐ離陸だ。

直希はファーストクラスのゆったりとしたシートに深く身を沈め、数時間の空の旅に休息の時間を見つけた。

頭のいい直希はシリコンバレーの開発者や研究者にプレゼンする内容は一通りのいつでも発射出来るよう準備しているので移動の時間、頭の中は自由だ。

隣でノートパソコンに向かっている美咲の隣で、直希はいままでの自分が表現してきた美咲への思い。

そしてそれがなぜそれが伝わらない。そんなことばかり考えていた。

直希は本当に美咲に惚れていた。

社長として仕事に励み、人として逞しく過ごす事で全身全霊で美咲に気に入られようとした。

もちろんそのエネルギーが会社にも大きく影響をし、前年比の売り上げは過去最高になった。

長身でイケメン、地位もお金も、精神的にも高水準を保っている直希は今まで好きになった女性は必ずと言っていいほど手に入れてきた。

クランクイン直前の人気女優との噂も週刊誌に掲載されたこともある。

繰り返しになるがそんな直希だが、美咲には未だに伝わらないのだ。

というか想いは伝わってはいるのだが、二人の関係に社長と部下以外の進展の気配が全くと言っていいほどないのだ。





その頃僕は美咲のアメリカ出張もしらず、美咲の会社の広告ビジュアルで使うモデルの表情をテスト撮影していた。

今回のモデルはスチールモデルというより演技派で女優と言ったほうがふさわしい人だった。

オーディションでは美咲の会社の社長が特に指名で気に入っていたし、僕ら制作スタッフの間でも暗黙のなかで決まっていた。

モデルの名前は秋本シエナ。

イタリア人の祖父を持つクォーターだ。歳は27歳。

頭のてっぺんから足の先まで、クォーターらしいニュータイプのオーラが漂っている。

本番さながらで浜辺を歩かせたが、僕らの求めたビジュアルよりもっと深いところで彼女は表現していた。

スタッフも全員、このシエナの存在に感動していた。

まさに彼女は恋いをしている。

もう十分に撮れているので午前中で撮影を切り上げた。

午後はスタッフみんな予定がゆっくりしていてので、千葉の房総からアクアラインを走って横浜の港の見える丘公園近くのフレンチ「オールモンド」で遅いランチを

食べた。

そこで団欒会話に弾んで楽しんでいる時、シエナが話す内容にしばしば美咲の会社の社長が登場していた。

今日、アメリカへ出張したことも知っていた。おかしいなと思いきゃ広告代理店のディレクターが僕の耳元でこう話した。

「あのさー、よく聞け拓也。俺は橘さんが社長の彼女と思っていたが、どうやらシエナが社長の女らしいぞ。取り扱い注意だ。よろしく。」

「はぁ?」

僕はシエナの事は驚きもしなかったが、美咲が社長と?

僕はディレクターを無意識ににらんだ。

「おいおいそんな怖い顔するなよ」

そうか、箱根のパーティー以来会っていないがあの社長、やっぱなかなかやるなー。

センスがある。

しかし話が進行しているうちにシエナが

「直希ったらアメリカへの出張に女性のスタッフを連れて行ったのよ。仕事だから仕方ないけど綺麗な人だからちょっとジェラシーだわ」

その言葉に僕はすぐ、美咲が同行している事を知った。

そして社長が美咲に気持ちがあることもなんとなく分かった。

シエナのジェラシーが僕にも移った瞬間だった。
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by charvy | 2010-04-13 12:49 | 小説

ストーリー「気高い君が欲しい」 ④ 美紀

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次の日、僕はマンションの東側の窓から差し込む強烈な光のスリットで独り目が覚めた。

そのオレンジ色の光りの帯に部屋のほこりがリアルに漂っている。

このところ早朝からロケ、夕方からスタジオでの撮影、そして原稿書きが続き、いつもマンションに戻るのは午前1時を回っている。

その時間から風呂に入ったり、ちょいとばかり読書をしているとあっという間に時間が経ち睡眠時間はこのところ3~4時間といったペースが続いていた。

美紀もブライダルコーディネイト会社でトータルプロデューサーとして責任ある立場で忙しい時を過ごしていて、僕らが会えるのは月に2.3回お互いのOFFがかさなった時だ。

もちろんこんな朝には、僕の胸に淋しさが漂い始める。

お互い仕事が忙しいことは理解しているとはいえ、いつも胸の中に円柱の棒みたいな空洞が出来、そこから喉に向けて淋しさが駈けのぼるような感触がある。

それがどれくらいかというと、無意識のうちに彼女の名を口に出すくらいだ。


しかし今朝はその淋しさが少し違った。もう一本、心の中に太い円柱が出来ていたのだ。

もちろん、その正体はすぐに分かった。美咲の存在だ。

いゃ、いけない。考えてはいけない。

自分の体に形成された暖かい毛布の中で身をひねりながら感触をなでてベッドから飛び起き、熱いシャワーを浴びた。

僕は壁に掛けてあるシャワーヘッドの無数に空いた穴を眺めていた。

シャワー水栓 のレバーを開けた瞬間、僕の目に向かって水の粒子が飛び込んできた。

頭のつむじから流れた水は僕のこめかみから鼻筋で2つに別れ口元から首筋、腰骨へとつたっていきそこからヒップの方へ回り込み太ももの裏をつたってアキレス腱に届いた。

シャワーを終え、空腹のお腹をとりあえずごまかすためトランクス1枚でキッチンとリビングの境目の場所にある冷蔵庫へ歩いた。

最近買い物もしていなかったので冷蔵庫の中にはたいした物は入ってないだろうと開けて見た。

すると、そこにはサラダボールと豆乳、オレンジジュース、ヨーグルトとバナナ、手作りのドレッシングが入っていた。

はぁー美紀だ。キッチンの端を見ると書き置きがあった。

「おはよー拓也。朝から寝起きは食欲がないだろうけど、ちゃんと食べてね。パンもレンジの上のかごに入れといたからトーストにして食べてね」

僕がマンションにいないと分かっていても、時たま部屋に寄ってちょっとした物を補充していてくれるのだ。

マンションに来られるんだったら僕が帰るまで待っていてくれればいいのにと、僕の胸に思いが大いに点滅する。


そう、僕には美紀という素敵な彼女がいる。

なにごとにも一生懸命で妥協がなく、だからといつて強いわけではなく僕には適度にしっかりと甘えてくる。

ちゃんと僕に意見もするし、僕が考えるであろう頭の思考に先回りして応えてくれる。

こんな男冥利につきる女性はなかなかいない。彼女の優しさは付き合い初めて1年が過ぎようとしているがいっこうに衰えず、

それどころか関係の心地よさが増している。

美紀は男心がよく分かっているのだ。

美紀との出会いも素敵だった。

あるブライダルの仕事で僕は式場にいた。

そこに本物のカップルを本物の式で撮影し広告展開する仕事だった。

周りのスタッフも気持ち良く準備をしている時、事は起こった。

急に花嫁が怒り出したのだ。今日の式も披露宴もやめて、親の言うことも聞かず結婚も止めると言い出したのだ。

もちろん雰囲気も撮影どころではなく、殺気だっていた。

そこで登場したのが美紀だった。

美紀はすかさずへそを曲げている若い花嫁に近づき慰めると思いきや、いきなり隣にいる新郎の方を問い詰め出した。

「こんな大切な日に彼女を悲しませるなんて男としてどうなの?」

みたいな事を言っていたら、へそを曲げた花嫁が逆に美紀に

「この人は悪くありません」と味方して現場がうまく収まった。

そんな人の気持ちが分かっていて気配りも十分な美紀は僕にとって、見かけも中身も相当高次元な大人の女性に見えた。




僕は有りがたく朝食を食べ、9時半くらいに車でスタジオに向かった。

新幹線のガード下を抜け、高台に向けた50メーターほどのスロープを上がり、割と住宅が密集した先の右側の空き地の先にスタジオがある。

僕はあと数メートルでスタジオの駐車場に入る寸前でシートベルトを外した。ちょっと先まで走らせ、バックで駐車スペースに車を止めた。

助手席のカメラを握り車から降りようとした時、人影に気づいた。モデルの彩夏だった。

彩夏は僕がスタジオに来るのを待っていたようだ。

「おー彩夏おはよー。どうしたんだ?」

彩夏は黙っていた。何か言いたげなのはすぐに分かった。

「なんだよ、ちょいとばかり機嫌がわるいのか? コーヒーを入れるからテラスに座っとけよ」

彩夏はそのままスタジオの窓側のテラスに腰を下ろした。

僕はやかんにミネラルウォーターを入れ火にかけ、ケメックスのコーヒーメーカーに粗挽きのコーヒー豆を計量スプーンどおりに2杯いれた。

やかんのふたがカタカタと音を立て始めたころ、

「拓也さん、昨日の人誰ですか?」

「えっ?友達だよ」

「うそ!」彩夏がにらんだ。

「うそじゃないよ」

「わたしの目にはそんな風には見えなかったわ。拓也さん、あの人のこと好きでしょ」

「え?」やばい21、2才の女の子に悟られている。

「そんなことないよ。あの子、美紀の親友だぞ」

「…」

しばらくして、

「そうなの。拓也さんにはあんな素敵な美紀さんがいるのに」


実は1年前、まだ美紀と付き合う前に僕は彩夏となんとなく付き合っていたことがあった。

そのころモデルと言ってもまだまだ新人で、撮影現場のすべてが新鮮に映っていた彩夏は、カメラを握り現場で指揮をとり、リズムよく仕事をこなしている僕が格好良く見えたのだろう。

撮影が終わりスタッフやほかのモデルがスタジオを引き上げ帰ったあと、彩夏だけが戻ってきたのだ。

僕は彼女の事を色目では見ていなかったが、肉食である若い彩夏に口説かれた感じだった。もちろん当時付き合っている女もおらず、断る理由もなかった。

いや、あの二十歳の彩夏から攻められてら、抵抗出来る男などいるはずがない。

スタイルがよく顔立ちもいい彩夏には肉体的には満足してはいたが、しばらく付き合っていくと、10歳ちょっと離れている年齢差に同レベルで話しをすることが出来ないでいた。

そんな中、僕は美紀とそのブライダルの撮影現場で出会ったのだ。ほぼ同年代の彼女と付き合うようになるまでそう時間はかからなかった。

そして彩夏とは別れた。

しかし彩夏は取引先の雑誌社やクライアントにそうとう気に入られていたため、その後も仕事ではちょくちょくスタジオに来ていた。

彩夏と撮影をやっている時、美紀が偶然スタジオに来た事があった。

美紀は彩夏が僕の前の彼女だということを1秒で見抜くと、彼女に対して眼を飛ばすどころか、逆に彩夏の事を思いやっていた。

そんな美紀の優しい気持ちが彩夏に伝わって、今では仲のいい姉妹みたいな関係になっている。

その彩夏が朝っぱらからわざわざ僕の所に赤信号を持って来てくれたのだ。

ということは、僕は焦った。

昨日のディナー中の僕の表情だけで、まだ若い彩夏が悟るぐらいならとっくに美紀には伝わっているのかもしれない。

僕はあくまで表情ひとつ変えたつもりは無かったのだが、女の眼力は相当なものらしい。



「でもその人、泣きそうになっていたわ」

「あー昔話だよ昔話」

「?」

「彩夏には言ってたよなー。俺に双子の兄がいたって」

「ん」

「だからその〜、亡くなった兄貴の元カノだよ、あの子」

「え〜、そうなの〜」

彩夏は目を丸くして驚いていた。

「それって美紀さん、知っているの?」

「別に黙っていた訳じゃなかったんだけれど、僕に昔兄貴がいたことすらまだ話してないよ」

「そんな大事なこと、早く話さなきゃ」

「そうだなー」

彩夏は気が済んだのか、スタジオにあるCDを何枚か借りるね〜って言いながらスタジオのドアを開けて出て行った。

確かにそうだ。早く伝えなきゃと思った。





その一週間後、やっと美紀に逢えた。

今日は天気もよく撮影も手早く終わり、機材を片付けていた。

すると携帯から「You've Got Mail、You've Got Mail、You've Got …」

美紀からだった。

メールの内容はこうだった。

「仕事がいったん落ち着いたので今日そっちに行くわ。久々に美味しい料理作るから拓也のマンションでディナーしましょ!」

やった、美紀に逢える。それと同時に男の欲望が頭をよぎった。





「ごめん、おそくなった」

僕がマンションに8時頃帰り着いたとき、すでに美紀は料理をこしらえていた。

「拓也。お疲れさま!」

美紀は上機嫌のようだ。

テーブルには大きめのワイングラスと二人分のかわいい料理が3品ほど並んでいる。

美紀に逢うのは10日ぶりだ。

僕はキッチンへ行き、調理中の鍋の火を止め、美紀の右手から菜箸を取り上げ、横からたまらず抱きしめた。

「もぅ」

美紀が小さく言った。

ここしばらくの思いすべてが癒され、僕の心に美紀が満ちてくる。

美紀も僕の心に追従し、僕の背中に回した手で優しく包んでくる。

美紀をそのまま抱き上げソファーに横たえ、僕は今まで愛してきたどの女性にもしたことのないようなキスをした。

そのとたん美紀は全身の力を緩め僕に身を預け、そして絨緞に寝そべった。

僕がもう一度美紀に潜り込もうとしたとき、美紀が初めて心配を口に出した。

「私のほかのひとを好きにならないでね」

美紀も何かを感じているのか。

僕はおでこにキスをした。

それから40分ほど時間がたった。

お互い起き上がるきっかけを捜していると同時に二人のお腹が鳴いた。そして二人で笑った。

身だしなみを整えテーブルに座った。

今日は珍しく白ワインだ。満月の夜に中のオリが暴れるワインとかで、とても神秘的だった。

スパークリングではないのにきめ細かい泡の粒が下から上へと回転していた。

二人とも腹ぺこだったので勢いよく料理を平らげた。


少し落ち着いたこの場で、兄貴がいたことを美紀に説明するにはベストだと思った僕は彼女の方を一瞬見つめ切り出した。

「美紀、実は俺、昔双子の兄貴がいたんだ」

「えっ」

「俺は専門学校だったんだけれど、兄貴は大学にいっていて」

「え〜」美紀は驚いていた。

「兄貴はレガッタ部にいたんだ」

「ん」

「そして事故で亡くなった」

「そう、えっ!うそ…」美紀は当時のことを思い出したかのように

「私もまだ美咲とこんなに親しくなる前の在学中に風の便りでそのような事を聞いたわ。つらい思い出だろうからと私は美咲に大学時代の話をあまりしてこなかったんだけど、まさか拓也のお兄さんが当時美咲の彼だったとは」

「ん」

「すごい偶然ね〜」美紀は目をしろくろさせていた。

「黙っていた訳ではないんだが、伝えるタイミングが悪くてすまん」

「あー、だから美咲は拓也のこと見てたのね〜、訳が分かったわ」

僕はほっとした。正確には少しほっとした。


しかしテーブルの上に置いてある美紀の携帯電話を眺めながら、その回線の延長にいる美咲の存在がどんどん膨らんでゆきどうしようもなくなりかけている僕がいた。
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by charvy | 2010-03-28 00:07 | 小説

ストーリー「気高い君が欲しい」 ③ 訳



次の週、僕は千葉の房総半島、富津岬の海岸にいた。

今日はファッション誌「Naturally British」の表紙と巻頭特集のファッションページの撮影のためだ。

天気はどん曇り。空のディテールがデッサン中の鉛筆画みたいに膨らみを持っている。

スタッフは編集者、モデル、ヘアメイク、スタイリスト、僕の撮影チームを入れて総勢15人ほどの大所帯。

先週の打ち合わせどおり、スケジュールが進行してゆく。

海風がほどよく吹き、モデルのヘアーをやさしくなでている。

今日の撮影チームはとてもスムーズだ。編集者もあまり注文も付けずに僕らのセンスを理解してくれている。

モデルの子達も、もう何度も組んでいるので、僕が望んでいる情景とリズムの瞬間にたどり着くのはお手の物だ。

あっという間にファーストセッションが終わった。


ロケバスでモデル達が衣装とメイクをチェンジしている間、僕はしばらくこの富津の海岸線の砂浜をゆっくり歩いた。

砂浜の砂の色はねずみ色だ。空も雲ってねずみ色。それを映し出す海もグレーだった。

対岸、左には横須賀、右手には横浜の街がうっすら見える。

そのうっすらと見える横浜の街で今頃、美紀はブライダルガーデンのオープンの仕事で活躍しているはずだ。

プライベート用のカメラで、盛り上がった砂浜の稜線からその奥に広がる海の水平線と空の境目を2:1:2の割合でフレーミングしシャッターを押した。

まさに今、目の前のグレーな世界と心が同期し、お察しのとおり一昨日のパーティーでの美咲の視線が気になっていた。

砂で出来た階段に腰を下ろした。

たしか美咲は大学の時レガッタ部のマネージャーをやっていたと美紀が言っていたなー。

そこで自分の兄貴の事を思い出した。

実は僕には兄貴がいた。8年くらい前までは。

当時、双子の兄がいて、頭がそんなに良くはなかった僕は昔から趣味だった写真の道に進み、兄貴は頭はいいが、とりわけ夢中になっている物もなく

慶応義塾大学に進学した。

兄貴の名は 拓郎 という。

しばらくすると兄貴もレガッタというボートの競技に夢中になり、記録会でいい成績を収めていた。

一卵性だったので顔、形、背丈、女性の好みまで一緒だった。

そして僕は専門学校を卒業し写真スタジオに勤め出した頃、兄貴は大学4年生でボート部の主将をしていた。

しかし4年生最後の大会に向けての練習中、事故に遭い亡くなってしまったのだ。

美紀にもまだこの話はしたことがない。

もしかしてそれが関係しているのか、僕の頭の中によぎった。




水曜日の朝が来た。僕は昨日スタジオでほぼ徹夜だったのでスタジオに泊まり込んでいた。シャワーを浴び新しいシャツに着替え窓を開けていると携帯が鳴った。

広告代理店のディレクターだった。

「おはよー 拓也!先日、打ち合わせした企画のコンテがほぼ出来上がったので、拓也の作品と一緒にヒルズに乗り込もうぜ~! 橘さんにアポを取りたいんだけれど拓也の来週のスケジュールを教えてくれないか?」

おっ美咲に会える。胸に喜びが走った。

「来週っすか?15日の木曜の夕方だったら大丈夫ですよー」少し鼻声で僕は返した。

「了解!じゃそこでアポイント入れてみる。 よろしく!」



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10月の第2週木曜日の午後3時半、僕は日比谷線に乗り六本木で降り1Cの出口に向かった。

地下鉄の駅からメトロハットまで地下道を歩き、地上に出た。すると目の前に空高きヒルズタワーがそびえていた。

見上げるとほんと高い。このビルの48階に美咲はいる。

1階からエレベーターに乗った。

各階のボタンがいっぱい並んでいる。

横4列縦15組の中から48階のボタンを探すことになる。

それにこのビルにはなんとエレベーターが20基以上あるのだ。

おまけにエレベーターのかごが二階建てになっていて、上かごは偶数回フロアにとまり、下かごは奇数階フロアに止まる仕組みになっている。



ほぼ無振動のまま48階の扉が開いた。ディレクターが先に降り、受付へ歩いた。

自分は5歩ほど後ろで社内の雰囲気の中に美咲の姿を探していた。

この前と同じ会議室に通された。

「拓也。作品のセレクトはどんな風?」

「ん~僕の心はまだ季節と共に冬に向かっていて、来春からのコンセプトに当てはまるかどうか分からないけれど、春雨っぽい曇り空の浜辺の写真を持って来ました」

「曇り空?」

「そう。春の輝きを後に表現したいのなら、最初は曇っていた方がより輝いたときに明るさが増すかなーと思って」

「じゃ今日は曇りの写真だけ?」

「そうです」

「大丈夫か?」

そうやりとりしてる間にクライアントの担当者が美咲も含め会議室に入ってきた。

ディレクターが指揮をとり、美咲を始め広告担当の面々にプレゼンが始まった。

今回、起用したモデルを色んな場所で歩かせるシチュエーションなのだが、僕の提案した最初は曇り空の下を歩くという案はおっさん連中は頭を傾げていたが、僕と同年代以前の広告担当者の目には好評だった。

そこでいろいろな突っ込みが入ったが僕はものともせず返した。

最後に美咲が突っ込んで来た。

「曇り空のシーンは分かりました。しかし次の広告展開があるまで初回のビジュアルだけじゃ世の中の人の目には暗いだけに感じませんか?」

来た!僕が想定していた突っ込みだ!

「そのとおり、暗いと思います。しかしその世界に今回起用した女性の姿をさらした場合、目力と妖艶さでいこうと思っています。その彼女の表情が僕にとっても最大の意味がこもっていて、なんと表現したがいいか分からないけれど彼女の魅力が迸る寸前とまで言いますか、そこにあるのは臨場感と空気感、そして皆が感情移入できる女の意志です」

「そうですか。そしたら次回はそのモデルさんの表情を具体的にカメラテスト出来ますか?」

僕はディレクターの方を向いた。

「もちろん!」ディレクターの気持ちいい言葉で一通りの打ち合わせは終わった。


ディレクターはほかの担当者に呼ばれ退室し、ほかの人達も美咲以外別の部署に戻った。

僕の思惑どおり二人っきりになった。そこで僕が、

「この前の箱根、楽しかったねー。美紀に聞いたんだけど大学が一緒だったんだねー」

美咲は表情も変えずに「……」

続けて僕が

「サークルはレガッタ部…」

美咲がしーっと、すっと伸びた人差し指を唇に付けた。

「ここは会社です。拓也さん」と美咲が会話を止めた。

相変わらず美咲はまじめで気高い。ちょっとばかりいいじゃないかと強く思った。正直な僕は眉間にしゅわが出来ていた。

「とりあえず、話したいことがあるので、連絡先を教えてくれないか?」

「はい」美咲は携帯番号を黄色の付箋紙に書いて渡してくれた。

そこへディレクターが戻って来た。

「お疲れ様でした。またよろしくお願いします」と美咲が時を進めた。


僕とディレクターは美咲に頭を下げ、エレベーターへ乗り込んだ。

「拓也!OK !よかった!早速、モデルのカメラテストやろう!」

いつももじもじのディレクターは今日は珍しく歯切れもよく気分がよさそうだった。

僕はカメラバックの肩紐を握りしめ、エレベーターの窓から見えるスリット状の風景に美咲の表情を思い浮かべていた。



横浜にあるスタジオに帰ったのは夜8時を少しだけ回った時間だった。

携帯電話のメールに今日も現場で何時に終わるか見当もつかないという内容が美紀から綴られていた。

僕は美紀に簡単な近況とお疲れ様とうメールを返し、続けて黄色い付箋紙に書かれた番号に電話をかけた。

プップップップッ、美咲の携帯が鳴ったはずだ。

「もしもし、橘です」

美咲が出た。

「拓也です。今、電話よかったかな?」

「はい」

「さっきはごめん。会社なのに」

「いいえ」

「今日は仕事は?」

「もう帰るとことです」

「よかった。もしよかったら今から会えないか?話したいことがあるんだ」

「美紀のことですか?」

「いや、君のこと」

しばらく沈黙した。

「分かりました。何処でお会いしましょうか?」

「どっち方面に帰るんだ?」

「日比谷線で中目黒方面です」

「じゃー自由が丘にシャッターズというレストランがあるからそこで」

「8時半過ぎには行けると思います」

「了解!」



自由が丘のカフェレストランには僕の方が先に着いた。

店内はほどい広さでテッド・ローゼンタール・トリオのモダンなジャズが流れている。

実は、この前の千葉の撮影の時のモデルの彩夏がここでウエイトレスのバイトをしている。

「あら拓也さん」

先にモデルの彩夏に見つかった。相変わらずキュートだ。

「この前はお疲れ!」

「いぇー、こちらこそお世話になりました」

「上がり楽しみにしといて。たぶん編集者も君を巻頭にもってくるはずだから」

「うゎーうれしい。今日はゆっくりしていってください」

「ありがとう」

彩夏がお冷やとメニューを持ってきてくれたとき、ちょうど美咲が店内に入ってきた。

「よお!」

美咲が微笑した。

その光景を見ていたモデルの彩夏は美咲の気高い大人の魅力に後ずさりしていた。

「お待たせしました」

「いや、こっちこそごめん。いきなり」

「ここに座っていいですか?」

美咲は正面のビンセントキャフィエロの椅子に座った。

「今日、美紀はどうしてるんですか?」

「さっきメールがあった、完徹だってさ」

「そうですか。美紀も忙しいなー。ところで話って何ですか?」

「ん。ストレートに言うと、この前からの君の視線が気になって」

「えっ。気付いていたの?」

「ん」

美咲はその瞬間、気高い鎧はどこかに姿をひそめ、普通の女性になっていた。

顔を赤く染め下を向いている。

「どうしたんだい。あまりストレートすぎた?」

「いえ、いいんです。実は…」

「いや、僕には分かっている。大学時代のことが関係しているんだろ」

しばらくして美咲が

「そうなんです。私が大学生の頃、立教のボート部でマネージャをしていました」

「ん」

「その頃、私は恋いをしていました。 あなたのお兄さんに」

「そうか。やっぱり」

美咲は目に涙をいっぱいためていた。

「8年前、彼が私の前からいきなり消えていなくなって、そしてこの前突然、拓也さんが私の目の前に現れて、私はてっきり拓郎は生きていて、私を迎えに来てくれた
のかと、本当にびっくりしました」

僕は黙って聞いていた。

「拓郎には双子の弟がいる事は聞かされていましたが、そこまで似ているとは」

「兄貴の葬式の時はいなかったよね?」

「そうなんです。私はちょうどその時、ボストンの大学に短期留学していて、連絡を聞いた私は国際便を手配して慌てて帰って来たのですが間に合いませんでした」

「そうだったんだ。その当時の美咲は大丈夫だったのかい?」

「いぇ。あまりのショックに起き上がる事も出来ず、実家で半年ばかり休んでいました」

「そうか。つらいこと思い出させてしまったね」

「いぇいいんです。私も伝えたいと思っていました」

ウエイトレスの彩夏がコーヒーを持って来た。

僕とは目を合わせずそそくさと引っ込んだ。

事情が分からない彼女には、僕が美咲を泣かせているように見えたのかもしれない。

「腹は減っていない?」

「少し」

「うそだろ~昼の打ち合わせの時、昼飯も取ってないって同僚が言っていたじゃないか?」

「ほんとうはぺこぺこ」

美咲が笑った。


それからウエートレスの彩夏にこの店自慢のスペアリブと野菜料理、グラスワインを注文して2時間ほど過ごし、店を後にした。
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by charvy | 2010-03-10 22:32 | 小説

ストーリー「気高い君が欲しい」 ② 視線


戸建てのホテルの連なりの先、ほどよい木々に囲まれた湖畔にガーデンがあり、そこにはまっすぐ伸びた床と天井のディテールだけで周りの壁はほぼガラス張りの
建物がある。

この建物はドイツの建築家、ミースが設計したらしい。普段はガーデン結婚披露宴をする場所だ。

そしてその横には枯葉の浮かんだプール。冬空が水面全体にアンバーな色で映り、北風が舞台袖のカーテンみたいに水面際をなでている。

今日、ここで異業種交流のパーティーがあるのだ。



オートバイで到着したばかりの美咲が荷物を下ろすのを僕は手伝った。

オートバイの両側に振り分けた無骨な革製のトランクを開けると北欧っぽい花柄の赤と緑のジッパーバッグが出てきた。

やっぱり女性だ。少し安心した。

美咲が僕の方を向いた。

「前から美紀にはあなたのことはよく聞いていました。」

「そう。 それで会ってみてどうだった」

「想像どおり素敵な人でした。美紀にお似合い」

美咲が微笑んだ。

「僕はオートバイに乗って来た美紀の友人が君だとは、ほんとビックリしたよ」

「そうでしょう。 みんなビックリされるんです」

「もう敬語はよせよ。 昨日の仕事の事は置いといて、楽しもうぜ」

「はい」

この日、もう太陽が遠くの空に明日の陽射しの約束をして沈んでしまった頃の時間、僕らはこれから始まるパーティーのため部屋に戻り着替えをした。

今回、箱根の旅行のきっかけは、美紀が勤めるブライダルコンサルタント会社の取引先の会長に美紀がパーティーに誘われ、当日一人では心細いので親友である美咲を誘ったのだ。美咲は快く美紀の誘いに合意した。それと僕をパートナーとして美咲に紹介したかったのだ。
女二人で出席すれば各界のエグゼクティブに華をみせる事ができるだろうに、美紀は僕の仕事の幅が広がるだろうと、そしてこんな素敵な場所でのパーティーは、是非僕と参加したいと思ってくれたのだ。


今回、チェックインした部屋は平屋で広いリビングを挟んでツインの寝室が二つある。

僕は片方の大きい窓のある部屋に入り、着慣れないタキシードに着替えた。ポケットチーフとマフラーの色がいまいちミスマッチで気になった。

美咲と美紀は15畳ほどのリビングの向こうにある部屋で楽しそうに笑う声がする。二人はドレスに着替えをして出てきた。

僕は普段、モデルとかとよく仕事で撮影をしていて、スタイルのいい女性には慣れている。

しかし今回、僕は息を飲んだ。

冬がもうすぐ訪れようとしている晩秋の小春日和の夕方に美咲は、真っ白なワンピースで肩が丸出しのドレスにファーを巻いた姿で現れたのだ。

その姿の素晴らしさの部分を数に数えたら枚挙にいとまがない。

簡単に5.6ページは使ってしまいそうだ。

その中でも一つだけ表現しておくと、美咲のすーっと伸びた二の腕にシルクの手袋、その裾をもう一つの手で引っ張る姿は、どうみても映画だ。

手袋を脱ぐ時は是非、指先をくわえて脱いでくれ!とイメージした。

すでにパーティーファッションのトレンドの先の先へ行く感じだった。

おいおいおい、オフィスでは気高きOLを勤め、次の日は湖の畔で女優かよ。僕はそう思った。


しかし美紀も負けてはいない。ベルベット調の深い味わいのワイン色のドレスに腰には大きいリボンが付いていて

こっちは背中が丸出しだ。おいおい。こっちは「おい」は二つ、僕はちょっとばかり焼いた。

僕が呆然としていると美紀が、

「ビックリした? 拓也は幸せね、こんな美人二人に囲まれて」と笑った。

美咲も美紀もそれぞれすばらしい魅力を放っていた。

もちろん美紀は僕の彼女だ。そして美咲は彼女の友達。

僕は美紀の言うとおり幸せ者だ。


そんな中、僕は一つだけ気になる事があった。

まだ美咲が今日ここに到着して2時間くらいしか経っていないが、それは美咲の時折見せる僕に対する視線だ。

時々、美咲が僕をそっと見ているのが分かる。僕は気づかないふりをしていた。

なぜ彼女は僕をときどき、僕が気づかない角度で見つめるのだろう。

僕に惚れたか。いや、そうではない。



大きな薪ストーブに暁色の炎があがり、パーティーが始まった。出席者数と変わらないんじゃないかと思わせるぐらいのホール係が、すばらしく手際よくシャンペンを配っていく。

100人くらいいたがももの3分程度で全員の片手にグラスが握られた。

主催者の会長のとても世相を反映した気の利いた短い挨拶のあと乾杯をし、僕らは3人ともロゼを一気に飲み干した。

それと同時にクラシカルなジャズが生演奏で始まった。

会場の人のしゃべり声とグラスや食器のかさなる音にリズミカルな音楽がいっそう雰囲気を盛り上げた。

僕はこんなソサエティなパーティーなど今まで参加したこともなく、緊張していた。

そこへ奇遇にも以前仕事を一緒にやったスタイリストとヘアメイクの友人が目に入った。

僕は美紀と一緒にやっと知り合いを見つけ、立食のテーブルに着いた。

しばらくすると美咲は、パーティー会場の中の男性達と挨拶をかわしていた。

普通だったら、社長やその辺のエグゼクティブ野郎が美咲に鼻の下を伸ばして話しかけてくるかと思いきやそんなことはなく、ほんと丁寧に皆が接している。 

やっぱり美咲はどの男性から見ても気高く見えるのか。

僕はまだ美咲とは人生の中で、前回の仕事の打ち合わせも含めて8時間足らずだが、美咲の人としてのセンスが逞しくまた彼女を遠く感じさせた。

僕が友人らと話に夢中になっていると、またテーブルの向こうから美咲の視線が届いた。

でも気にしないようにした。 僕は、あんまりこっち見るなよ、美紀が気がついたらどうするんだよ、と思った。

そんな時「拓也さん、こっちにいらして」美咲が僕と美紀を呼んだ。

するとそこには、美咲の勤めるコンピュータ会社の社長の姿があった。

「ご紹介します。 この二人は私の大切なお友達です。彼は広告のお仕事、隣の彼女はブライダルコーディネイトの仕事をしています」

と社長に紹介してくれた。

社長といってもまだ若そうだ。しかも独身らしく相当やり手だなと思った。イタリアのマフィアみたいな出で立ちだ。

社長は「初めまして。さわやかな感じのするお二人だ。さすが美咲さんのお友達だ。」とグラスを僕らに向け軽く乾杯をしながら挨拶をした。

美咲が「今回、わが社の春の広告でカメラマンをやっていだだきます。企画も以前会長にお見せした流れを考えたのも、こちらの彼なんです。」

「そうか、君が、」社長は愉快そうだった。

美咲は僕のことを社長にアピールしてくれている。

僕は「はぁ」とあまり歳も変わらないであろうこの社長に無意識のうちに対抗心を少し芽生えさせていた。

ピアノのスイングがいっそう激しくなってきた。

窓際の板の間では手を取り合いダンスを踊っているやつらもいる。

すると会場の奥の方でなにやらバリンとグラスかガラスの割れる音がした。

そこに目をやると、なにやら話で熱くなったのか、イギリス人らしき男と日本人のエグゼクティブ野郎が口論を始めていた。

すでにエグゼクティブ野郎は突き飛ばされ、イギリス人に対して応戦準備中だった。

そしたらそばにいた美咲がグラスを僕にあずけ、その二人のほうへドレスの裾を手でつまみ駆け寄っていつた。

今にもつかみ合いが始まりそうな緊迫した二人に、美咲は僕には聞こえなかったが何かを軽く二人にささやいた。

すると、みんなが注目する中、二人の男の表情は急に和みその数秒後には握手をした。

会場に拍手がわいた。

ちょっとした演劇よりみごとだった。

若い男の満ちあふれるパワーのぶつかり合いを観客の目の前で見事ポジティブに変換したのだ。

向こうにいる取引先の会長も、我が子の喧嘩のように微笑ましく笑っていた。

その後ソプラノ歌手の歌声でパーティーは無事終了。

まだ会場で社長と話している美咲を残して、美紀と僕は部屋に戻った。



「ビックリしたねぇ、つかみ合いになるかと思った」

「僕もだ、美咲さんってすげーなー」

「でしょ。昔からあーいうタイミングに人を大人しくさせることが出来るの」

「まるでサーカスの猛獣使いだなー」

「まぁー」美紀が笑った。



しばらくして美紀が

「ねぇ、ちょっと話したい事があるの」

「え?」

「わたし、  美咲の視線が少し気になったの。 美咲ったら私と拓也が気づかない時に、拓也のこと見つめてた。あんな彼女を見るの初めて」

僕は一瞬焦った。でもまて、僕はマジでなにもしていない。焦る必要はないのだ。

「美紀も感じていたんだ。実は僕もだ」ちょっと強気な僕の返し。

「なんだろう」

「ところで美紀、美咲さんとはいつから友達なんだ?」僕が訪ねた。

「大学が一緒だったの」

「そう言えば美紀は立教だったよな」

「そう」

「サークルは何か入ってたのかなー?」

「私は華道部、美咲はたしかレガッタだった。 しかし当時はそんなに仲がよかったわけじゃなくって卒業してからだわ、こんなに仲良くなったのは」

「そう」僕はその時、別に何も思わなかった。

「あ、そうそう美咲はレガッタ部のマネージャーをやっていたわ 」

「んーそう」

それから僕らは話を変え、美咲が部屋に戻ってくるまで部屋のソファーに座りワインを飲んで楽しんだ。


時計の針が12時を15分ほど過ぎたころ美咲が部屋に戻って来た。

「ただいま~!」

僕は日頃の疲れが溜まっていたのか、今日のパーティーで気疲れしたのか、美咲のただいまの声を聞いたあと記憶がなく、深い眠りについてしまった。



次の日が来た。朝から快晴だ。陽射しのエッジが毛布の柔らかい生地に刺さっている。

昨日、僕はソファーで寝てしまっていた。 美紀に起こされた。

「もうそろそろ起きなさ~い」

起こす時も美紀は優しい。

「あ”-寝た。」

目覚めかけている僕の頭の中に、昨日の美咲の視線が感情としてインプットされていた。

美紀には悪いが、もう一泊できたら何か起きるかもと男のくだらない欲望が半分冗談で頭によぎっていた。

寝癖ばりばりの僕に

「早く起きないから。 美咲はもうさっき帰ったわよー」

「え~?」

「今日も昼から仕事ですって」

「マジ」

僕は美咲とろくに話も出来なかった。

明日からしばらく美紀とも会えなくなる。

そう、僕らも明日からレギュラーの仕事が始まるのだ。

うかうかとはしていられない。
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by charvy | 2010-03-05 12:31 | 小説

ストーリー「初恋」のエンドロール

ストーリー「初恋」のエンドロールにもし曲を流すなら、僕はこの曲がいいと思った。





佐野元春 「君がいなければ」

つかのまの陽ざしのなか
ホコリだらけの街を歩く
風は君の髪を撫でて
沈みこんだ気持も消えてゆく

時々 何も見えないふりをしてしまうけれど
時々 何も気づかないふりをしてしまうけれど
君がいなければ
君がいなければ
喜びの意味さえ知らずに
時は流れてただろう

本当の君に出会うため
すり切れるまで夢をみていた
打ち明けることもできずに
ムダな事ばかり話していた

時々 何も聞こえないふりをしてしまうけれど
時々 何も知らないふりをしてしまうけれど
君がいなければ
君がいなければ
せつなさの意味さえ知らずに
夢は消えていただろう

時々 何も見えないふりをしてしまうけれど
時々 何も気づかないふりをしてしまうけれど
君がいなければ
君がいなければ
悲しみの意味さえ知らずに
さまよい続けてただろう

君がいなければ
君がいなければ
さよならの意味さえ知らずに
時は流れてただろう
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by charvy | 2010-03-01 08:56 | 小説

ストーリー「気高い君が欲しい」 ① 出会い

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僕の仕事は広告写真の撮影がメインだ。しかし最近では広告プランを立てたり、もちろん戦略、機能、判断、効果、反響、結果予測、クライアント社内へ意識効果などブランディングや書く仕事も増えていた。

今日は六本木のヒルズ森タワーにある、大手コンピューター会社の広告の仕事でスタッフの初顔合せの日だ。

横浜のスタジオから都内への打ち合わせに向かう時はいつも地下鉄なのだが、僕はこの日、会議が終わると二、三日のOFFになるのだ。

すぐさま箱根へ行く予定なので、ステーションワゴンに2泊分の荷物を積み込み、この会社のあるビルの地下駐車場に車を滑り込ませた。

ゲートをくぐるとロータリー式になっていて駐車スペースも十分だ。僕は一番奥から3番目の空いたスペースに車を止めた。

両サイドに止めてある車はアストンマーチンとフェラーリ。さすが森タワーの地下だ。

僕はエンジンキーを抜き、ドンケのカメラバックを抱え車のドアを開た。

ドアを閉め、昨日買ったばかりのオールデンVチップコードバンの靴紐を結びなおし、エレベーターホールへ歩いて行った。

新しい革靴のヒールがいい音を立ててホールに響いている。

数台の防犯カメラに僕は見守られながら、一人でエレベーターに乗り込みcloseボタンと48階のボタンを押した。

ドアがあと8センチで閉まろうとする瞬間、スリットから女性らしき姿が見えた。

あわててオープンボタンを押した。

エレベーターの動きにブレーキが掛かりドアが開いた。

黄色灯の光と地下駐車場の壁にほかの車が曲がる音が響いた。

僕が下を向いていると視界にとても綺麗な赤いパンプスを履いた女性の足もとが、エレベーターの入り口に見えた。

「 すみません、おそれいります 」

その女性がお礼を言いながらエレベーターに入って来た。

エレベーターが動き出しドアの隙間から近代建築らしい臭いがしてきたが、それとは少し遅れてまだ足元しか見ていない女性の香水の匂いがかすかにしてくる。

普段僕は、同じエレベーターに乗る人をじろじろとなるべく見ないようにしているが、今回は僕の食指にさわった。

ゆっくりと視線を上げると、思ったとおりのそして気高いと表現すればいいのか、ちょっと声をかけるだけでも勇気のいるような女性がそこに立っていた。

背丈はヒールを合わせて175センチくらいあり、グレーのスーツにおしゃれなひらひらの付いたシャツを着ている。

眉はシャープにラインを描き、目はぱちりとしているが形はきれながだ。

年齢は27歳くらい?頬には二つキュートなほくろがあり、唇は見事な富士山型で下唇の厚みも十分だ。

その唇から顎のラインも日本人ばなれしていて、よく見ると顎がかすかに二つに割れて見える。

そこから首筋には顔の輪郭を縁取る陰が白い肌にぼかしをかけている。

髪はロングなのに、緩やかなウエーブがヘアカラーのグラデーションと共に軽やかさを出している。

指輪ははめていないが、爪にはすてきなネイルアートが施してある。

右手にはリモアのアタッシュ。左手には広用紙の筒を抱えていた。

その女性が何階のボタンを押すのか気になったが、いっこうに気配がない。

このエレベーターは最新型だけあり、すごい速度であっという間に48階の扉が開いた。

僕が先に降りた。

彼女も同じ階だった。

エレベーターを降りてすぐの受付で、身分を記入してすぐ振り返ったが、彼女はこの広いオフィスのどこかへ消えていた。

受付の女性の笑顔につられながら会議室を案内してもらう。

この会社は外資系で社内はすごくオープンだ。

とりわけ変わっているのは、社員全員決まったデスクがないのだ。

いたるところにテーブルやソファ、カウンターが設置されていて、社員は自分の好きな場所でノートパソコンで仕事をしている。

案内された会議室もガラス張りで外からは丸見えだ。僕はまさかトイレまでガラス張りじゃないかと一人想像して笑った。

すると先に到着していた広告代理店のディレクターがガラス越しに僕の名を呼んだ。

「 おー拓也!お疲れ様、今日はよろしくね!  初顔合わせだからあまり熱くなるなよ 」

僕は了解とばかり口角を横に広げた。



5分ほどしてクライアントの広告チームが一斉に5人現れた。

僕の予想が的中した。 やっぱりさっきエレベーターで会った女性も今回のプロジェクトに関係していた。

雰囲気的にこの会社の中でひときわ異彩を放っている。

上司らしき男性もこの女性には対等か、いやそれ以上の神経を使って対話をしている。

僕はこの会社の規模やプロジェクト内容より、今、目の前にいる彼女の放つ雰囲気に緊張していた。

全員が立ち上がり名刺交換が始まった。

次々に名刺を渡す。

最後その彼女へ名刺を渡す番が来た。

彼女と目が合った。

すると一瞬だったが、彼女の瞳の奥が少し開き何かを感じたみたいだった。

僕は名刺を補充するのを忘れていて4枚しかケースに入ってない。

慌ててカメラバッグの中をより分けると底の方に折れ曲がった名刺が1枚だけ見つかった。

僕は失礼かと思ったが、折れ曲がった名刺を手で伸ばし

「 こめんなさい 」と言って彼女に渡した。

彼女は少しは愛想笑いでもするかと思ったが、毅然として表情を少しも崩さない。

僕は心の中で、少しはニコッとしろよ。割と好みなんだから、と思った。

僕は名刺を見た。

彼女の名前は 橘 美咲、どおりで気高いと思った。きっと血液型はBかABだろう。

その日の会議はあらかたなスケジュールとコンセプトの見直し、今回起用するタレントのセンスの守備範囲までが話された。

会議の内容はディレクターに任せ、僕は今回のクライアントの人柄を観察した。

特に目の前の気高き彼女。

クライアント担当者らの一通り話を聞いたが、今回の仕事はやはり彼女が鍵を握っているようだ。

僕は会議中、気分ではない時はそんなに仕事の内容などをしつこく考えないようにしている。

それより今回出会った人物の話と気迫を感じ、一通りのストーリーをしばらく咀嚼して自然に吸収し、時を待ち、時合いが来ないと本流に入らない。

いや、そうしないと、とにかく速度が出ないのである。

会議が終了した。

僕はカメラバッグを肩に掛け、うざいディレクターをおいてけぼりにして、そそくさと会議室を出て地下駐車場に降りた。

車に戻り、カメラバッグから35㎜のレンズの付いたニコンを助手席に置て、ステーションワゴンを国道246号線方面に走らせた。



箱根には戸建て形式のホテル旅館がとってあり、そこに今付き合っている彼女が先に行って、僕を待っているのだ。

彼女の名は 美紀 といい、付き合い初めてまだ1年になっておらず、お互いの友人を全員紹介しきれずにいた。

箱根のホテルの駐車場に着いたころは、もう薄暗くなる夕方7時半を回っていた。

車のライトを消し、近づいて来たホテルマンに名前を告げ、車と荷物をまかせホテルの離れにあるガラス張りの素敵なレストランに急いだ。

晩秋の冬になる直前、近くの湖から確実に冷気が方向を示すように東側から感じていた。

歩きながらネクタイを外しポケットに入れ、シャツのボタンを上から三つ外した。

やっと美紀に逢える。僕の心は急ぎ足だった。

レストランの入り口に近づくとボーイが、彼女が座っている席へと案内してくれた。

「美紀、おまたせ! 30分待たせたね。 お腹すいただろう」

彼女はゆっくり振り返り

「お疲れ様。 ゆっくり楽しんでたわ」

と微笑んでみせる。

美紀のいいところだ。僕がどんなに待たせても、失敗しても彼女は決して怒らない。

それどころか、親身に僕の今現在の心に同期して、やさしい言葉をかけてくる。

僕はそんな美紀がそばにいてくれるだけでほっとする。もちろんこんなにも僕を優しく包んでくれる女性は初めてだ。

今回、僕らはお互い忙しい合間の久々の小旅行。明日はこのホテルの湖の畔にある建物でパーティーに参加する。

美紀とワインを飲むのは久しぶりだ。 美紀も最近やっとワインの味が少し分かってきたので、ちょっぴり贅沢なワインをセレクトした。

ボーイが「 2004のブルゴーニュ グランクリュでございます 」

と言いながらリーデルのソムリエラインの大きなグラスと共に持ってきた。

彼女の方にテイスティングをしてもらった。

美紀は満弁な笑顔で顔を立てに振った。

そうとう薄いグラスなのでグラス同士がぶつからないようすれすれで二人は乾杯した。

美紀がワイングラスをそっとテーブルに置き

「 明日、初めて拓也に会わせる友達がホテルを訪ねて来るの 」

「 どんな子。かわいいの? 」

「 さ~それは会ってからのお楽しみ。きっと写真、撮りたくなるわよ 」

「 楽しみだ 」

しばらくフランベを楽しんだあと部屋に戻った。




次の日が来た。

朝から空は高く晴れ渡りいい天気だ。

ホテルの庭先、湖畔の遊歩道を二人で散歩した。

葉の落ちた明るい雑木林の向こうから筋状の雲が僕らの頭上まで続いていた。

「 美紀、友達は何時頃ここに来るんだ? 」

僕がたずねた。

「 さー彼女、仕事人間だから何時になることやら。でも仕事のスピードはとっても早いほうよ 」

「 そうか、その点は僕好み 」

二人は笑った。



その日、時計の針も夕方4時をさす頃、湖畔の彼方からオートバイの排気音がこだました。

美紀が、

「 もしかしたら来たわ 」

「 え? 」

「 彼女、オートバイに乗るの 」

オートバイの排気音が近づいて来る。

音から想像するとVツインの2気筒のけっこう排気量の大きいオートバイだ。

視線をホテルの東側、雑木林の向こう側の町道に向けてみると、クラシカルなアメリカ製のオートバイが目に入った。

アメリカンタイプではあるのだが、小振りなガソリンタンクをフレームに載せ、フロントフォークは割と立っていて、このオートバイは見かけよりも全然スポーティーな走りが出来そうだ。

ホテルの本館横の彫刻アートのある脇の駐車スペースに止まった。

ライダーは体つきはどう見ても女性だった。16オンスのジーンズにエンジニアリングのブーツ、上には革製のライダーズジャケットを一番上のボタンまで締めていた。

彼女は一度アクセルをあおりひと吹かせしてエンジンを止めた。

美紀は友人と確信したのか、駆け寄っていった。

ライダーである彼女がグローブを外しブコのオープンタイプのヘルメットを脱いで顔を左右に振った瞬間、長い髪がさらっと背中へなびいた。

「 美咲、久しぶりー 」

美紀はとっても嬉しそうだ。

僕も隣へ追いつき、オートバイにまたがっている彼女に目をやった。

彼女が顔を上げた。

僕は一瞬でわかった。

昨日、打ち合わせに行ったヒルズタワー48階の彼女だった。

「 美咲、紹介するわ。拓也、私の彼 」

僕は彼女と目が合った。昨日と同じく彼女の瞳の奥が一瞬開いた。

僕は彼女に向け挨拶どおりの笑顔をだした。

彼女は「 初めまして、美咲です、 あらっ 昨日の熱いひと 」

彼女の目がまん丸になった。

「よう!」僕はプライベートモードの答え方をした。

美紀が

「 あなた達、知り合い? 」

「 いや、昨日の仕事先のオフィスで同じプロジェクトだったんだ 」

「 へー偶然、ミラクルねー 」美紀が感心した。

美咲が

「 びっくりしました。あなたが美紀の彼だとは 」

「 偶然だね。来週の会議、今から済ませちゃうか 」

と僕が冗談を言うと美咲がやっと笑った。

もちろん初めて見る笑顔も素敵だった。

僕はまだその時、今目の前にいる 美咲 に首ったけになるとは思いもしていなかった。
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by charvy | 2010-02-27 20:47 | 小説

ストーリー「初恋」後編


彼女の日焼けしたぬれた身体は素敵だった。
僕らは1987年の夏、江ノ島のすぐ近くの東浜海水浴場にいた。
左手には三浦半島が一望できる。
江ノ島の島陰にあるので波が穏やかだ。
海水浴客で人はごったがえし、ビーチの背中には海の家が25件、出店が30件ほど店先を連ねている。

となりでビーチマットに仰向けになり真夏の太陽を全身に浴びる彼女。
まだこの時代、紫外線が体に悪く、シミの原因になるなど誰もしらず、健康のためと日を浴びていた。

ビーチではサザンの音楽が流れている。
僕はふざけてビキニ姿の彼女のおへそに砂を盛ったりして遊んでいた。
彼女が笑うと、そのお腹の上の砂山がひび割れして崩れていく。
ビキニ姿の彼女はすごくスタイルがいい。胸元からバストにかけてのライン、それに仰向けに寝転がってもペタンコにならない
ほどよい大きさの形のいい張りのある胸。
腰骨からふともも、ふくらはぎまでつづくビーナスライン。
僕の頭の中ではアパートに二人で帰り、夜は彼女を思いっきりいつもどうり抱くのだと欲望を募らせていた。

彼女と付き合い初めてもうすぐ2年。僕はバイトと別々の家に戻り寝る時以外は、学校もプライベートもいつも彼女と一緒だった。
今まで彼女の時間は、全部ほぼ把握していたつもりだ。
気持もわかっていたつもりだ。
しかし最近、連絡が取れない日がしばし続いたことがあった。

気にはなっていた。
その日の夕方、仲間とみんなで多摩川の河原でバーベキューをやった。
そしてその後、近くのコインシャワーで一室に二人で入り100円で済ませアパートに戻った。
僕はアパートにもどるなり、彼女を抱き寄せた。
いつもだったらそのまま、ベッドに直行のはずが今日は違った。
彼女は下を向き、急速に僕の目の前で元気をなくした。
僕も無理矢理なことはしなかった。

何かあったに違いないと僕は思った。

「何かあったの?」

僕の問いに彼女は下を向いているだけだった。
今晩は夜風が強く、窓ガラスと網戸がカタカタ音をたてていた。


次の日、僕は里帰りのため羽田にいた。
彼女には出発時間を伝えてあり、僕は搭乗時間ぎりぎりまでゲートの近くのベンチに座っていた。
彼女はとうとう見送りに来なかった。

何がいけないのか僕にはわからなかった。

僕はものすごい不安とともに飛行機に乗った。
座席に着き機内の天井にあるエアコンの送風口を顔に向けた。
いよいよ飛行機が離陸した。トワイライトタイムに窓際の席から見た東京の街は、飛行機が九州に向け旋回をするとき
非常に綺麗にそして僕の目にまどろんでいた。

熊本に帰るのは1年ぶりだ。
熊本空港からバスに乗り市内へと向かう中で、僕らはきっと大丈夫。
そう思うしかなかった。

熊本へ帰った次の日から卒業制作のため、作品撮りをやった。
1秒でも立ち止まれば彼女の事が気になり始め、どうしようもなくなる。
僕はとにかくカメラを握ったまま、心を支えていた。

撮影しては実家にある暗室でプリントを焼き、10日ほどで無事60枚ほどの阿蘇のランドスケープ作品が出来た。
夜には必ず2日おきに彼女の家に電話をかけた。
なんとか作品がまとまり、夏休みが終わる一週間前には横浜に戻る約束をした。


日差しの強い8月の第三週、僕はアパートのある横浜に戻って来た。
ポストを開けてみると、どさっと足下に郵便物が落ちた。
年明けではないのに、年賀状みたいに大量にはがきが届いている。

差出人は全部彼女からだった。

僕がここにいない約一月間の間、毎日の出来事を僕に伝えるように、書いていたようだ。
アパートのドアを開け、一ヶ月間締め切っていた部屋のにおいを感じながら電話に向かった。
そして彼女に今、アパートに着いたことを連絡しようと思い受話器をとったら、電話代を払い忘れていたため使えなくなっていた。
僕はすかさず電話ボックスに走った。

一応、電話ボックスにたどり着くまで、はがきを順番通りに急いで斜め読みした。
そして最後から2枚目のはがきを読んだ時、僕の足はカクンと止まった。
そこには、

「ごめんなさい。私、あなたに一つだけ話していない事があります。
私にはあなたとおつき合いする前に高校時代から付き合っていた先輩がいて、
その人が留学先から来春、帰国します。」

僕は電話ボックス手前25メーターくらいの場所で路肩にしゃがみ込んだ。
そのままその先の文章を続けて読んだ。

「私は二年前、新しい学校で、新しい環境の中で毎日、遠距離恋愛の切なさと戦っていました。それから彼から連絡がだんだん来なくなり、
そこへあなたが現れました。彼のことは好きだったけれど、すぐ近くにいる優しいあなたに私は心を引かれていきました。
私も夢中で楽しかったし、連絡も来ない彼のことは忘れかけていました。
しかし今年の7月、彼がいきなり私の家の前に現れたのです。
彼の話では、四年間の留学が終わり日本企業に就職が決まったので来年の1月末に戻ってきます。
この前、私が何日かいなかったのはその彼に会っていたからなのです。」

と。 僕はかなりショックを受けた。
アパートに引き返し、昨日が消印の最後のはがきを読んだ。

そこには、

「ほんとうにごめんなさい。私はやっぱり彼の事が忘れられません」

と綴られていた。僕はなぜとは思いもせず、ただかび臭い部屋の中で呆然と座っていた。


一週間が経ち新学期が始まった。僕は学校へ行きたくなかったが、しかたなく向かった。
教室にはいつもと変わらないみんなの笑い声。
そして授業が始まるぎりぎりに彼女は姿を現した。

一ヶ月ぶりに見る彼女。
いつの間にか髪の毛が長くなっていた。

僕の心は手紙の内容のままなのに、彼女の表情は普通に普段通りだった。
2時限目が終り昼休み。
僕はたまらず彼女に声をかけた。

「よう! 久しぶり! 元気だった?」

そしたらとっても普通に

「熊本は楽しかった? 横浜は暑かったのよ」

とてもああいう内容の手紙を送ってきた本人には見えなかった。
その彼女の態度に僕はなおさら胸を強く強くえぐられた。
もう彼女の中では僕との事は終わったということなのか?
あっけらかんとした彼女に僕は優しさを見いだすことは出来なかった。

僕は情けないが午後の授業を受けることが出来ず、学校を飛び出した。
日吉の駅から電車に乗り渋谷まで出て、環状線の電車に乗り換え、何時間も都内の風景を車窓から眺めていた。


それから時が経って1988年の1月が来た。
僕はどれくらい自分の心を取り戻せたかわからないが、彼女に対して一つだけ、心残りなことがあった。
それは今まであんなに好きだった彼女に対して、まじめに一度も写真家としてカメラを向けたことがなかったことだ。

もう1月も終わろうとする中、僕は勇気を出して彼女にお願いをした。

「今年の春が来たら卒業だね。 最後に君の写真を撮らせてくれないか?」

すると彼女は少し考えて

「いいわよ。その代わりフィルムは1本だけにして」

僕はまた胸をえぐられた。

「よかった。じゃー今度の土曜日に。」

彼女の1本だけにしていう言葉は、もう僕と一緒にいたくないのか、もしくは早く僕を立ちなおさせるための優しさなのか?

もうどうでもいい。



土曜日が来た。彼女を撮影する日だ。
場所は2年半前、彼女と初めて逢った、多摩川の河川敷。

空は高く晴れ渡り小春日和だ。雲雀がずっと僕の斜め上で鳴いている。
僕は早めにこの場所へ来て、ハッセルにプラナーの80㎜のレンズを付け
背景になる場所をロケハンして回った。
カメラは35㎜とは違ってワンロール12枚撮りだ。
それで完全に彼女とのやり取りがすべて終了する。

時間に5分ほど遅れて彼女が二子多摩川駅から出てきた。

「よう!」

「お待たせ」

撮影のためなのか、いつもより、いや今まで見たことのない大人びたファッション。

僕は手早くブローニーフィルムをハッセルのマガジンに装填した。

フィルムはコダックのコダクローム64。
重圧な発色で高解像度、なにより耐変色性に定評がある。

まず僕はこの草地の獣道ならぬ人道の真ん中に立つよう彼女に伝えた。

彼女がそこへ立った。全身が入るようにフレーミングした。

彼女が川向こうに視線を向けた瞬間、僕は1枚目のシャッターを押した。

その直後、僕は彼女の方に5歩近づき、彼女は利き目の左目を前に僕のカメラに視線を向けた。

表情はとても穏やかだ。どこにも力が入ってなく僕の方にとても自然な顔をしている。

僕はこんな表情に弱い。光の向きは逆光だ。

僕はそのままの彼女の自然な表情を絞り2.8半、シャッターを1/250に合わせ2枚目のシャッターを押した。

それから彼女は手を広げ空を仰ぎ背伸びをした。僕はすかさずしゃがみ込みローアングルで彼女越しの澄み切った空を入れ3枚目のシャッターを押した。

僕は彼女に

「少し歩こう。 僕の前を6歩ほど先を歩いて」

彼女は無言のまま言うことをきいた。

僕の目の前を彼女が歩いている。突然彼女は春が来て喜んでいる鳥のようにステップを踏んだ。

僕は片膝を地面に付きその後ろ姿に4枚目のシャッターを押した。

そして彼女が振り向いた。そして立ち止まり、僕に向かって微笑んだ。それはまさに付き合っていた頃の顔だ。

5枚目のシャッターを押す。

とうとう僕の押さえ込んでいた心が動き出した。

彼女も精一杯僕の前でモデルとして自分自身の今を表現している。

あと7枚。

次に彼女は無邪気な表情をし僕から逃げるようなかっこうで、斜め後ろに下がりながら駆けた。
僕は追いかけながらシャッターを続けて2枚押した。

きっといい感じでぶれて写っているはずだ。

そして彼女に追いつき彼女を捕まえ、たまらず抱きしめた。

そしたら彼女が

「まだ撮影は終わっていないわよ」

と言いながら僕をいきなり突き飛ばし、また無邪気に笑いながら逃げた。

僕はカメラを左手に持ったまま彼女を追いかけた。

僕は右手で彼女の左手をつかんだ。

彼女はカメラを持った僕の左手首をつかんだ。

僕らは手をつなぎ合い、ぐるぐる円を描くように回った。少し目が回ったとこで、多摩川の河川敷、まだ花のさいていない菜の花の葉っぱの上に倒れ込んだ。

二人とも笑った。耳を澄ますと光に満ちた青空に雲雀が一生懸命縄張りを主張していた。

「楽しい」

彼女がささやいた。

しばらく二人で雲の行方を追った。

そこには僕らの2年分の思い出のように色んな形の雲が浮かんでいた。

ほかの雲とくっついて大きくなる雲。 上空で丸かった綿雲がだんだん細く楕円形になり、そてが二つに分かれ右の雲の方から先にだんだん薄くなり空に消えていったりした。

僕は寝転がったまま彼女の横顔に向け10枚目のシャッターを押した。

それからしばらくして雲が太陽の光を一瞬さえぎった。

それと同時にもうすぐ終わってしまうこの最後の撮影に、僕らの顔色もグレーになっていった。

彼女は下を向いていた。

「あと2枚フィルムが残っている。」

今度はしっかりフィルムに彼女を露光するために順光になるように方向を変えた。

1月の澄み渡った空から降り注いでくる冬色のフィルターが、目の前にいる彼女の顔色にやさしい、少しアンバーな色をのせていた。

僕は今、目の前にいる彼女に再びカメラを向けた。

彼女もゆっくりと僕に向けて顔を上げた。

僕はハッセルブラッドのファインダーフードをもう一度起こし覗き込んだ。

ファインダーの中で彼女が佇んでいる。

僕はピントを合わせようとした。

しかしなかなかフォーカスが合おうとしない。

どうしたんだ。

自分に問いかけた。

さっきまで笑っていた彼女の頬にもひと筋の涙が流れた。

僕は袖で自分の目をこすりクリアーになった目でもう一度ピントを確認してシャッターを押した。

精一杯だった。



すると河川敷の背中の丘の上から車のクラクション。

見るとドイツ製のスポーツカーが止まっていた。

その車から男が降りて来て彼女に向かって手を振っている。

僕が彼女に

「あれが彼氏?」と訪ねたら。

「うん」とそっとうなずいた。

そして僕は一歩彼女に近づき握手をした。

「ありがとう。」

彼女も小さい声で

「ありがとう。」

と目に涙をいっぱいためながら言った。

「もう行けよ!」

言いたくなかった。

彼女はベンチに置いたバッグを手に取り軽く僕に手を振りながら土手の上の車にむかって歩き出した。

彼らしき男が助手席のドアを開けた。

彼女は車に乗り込む寸前、もう一度僕の方に手を振り車のシートに潜り込んだ。

そして彼女を乗せたスポーツカーは水平対向エンジン特有の排気音をだして河川敷に沿った丘の上を遠く下流の方へ走り出し見えなくなった。

僕は一人になった。

しかし、最後に彼女が見せてくれた涙に、僕の心は相当救われた。

そして思い出した。彼女を迎えに来た男。

彼女と初めて出会ったこの場所で約2年半前の春、迎えに来ていた人と同じやつだった。


それから僕はハッセルのマガジンのカウンターに目をやった。

カウンターの数字は12枚目、あと1枚残っていた。

僕は無意識なのか、わかっていたのか自分でもわからないが、最後の1枚のシャッターは押せずにいた。

もしこの最後の1枚を押してしまうと、燃える夜を貫いて愛してきた彼女が、永遠に僕の前から消えるような気がしていたから、

どうしても、どうしても押せなかったのだ。



僕はそのままベンチに座った。

そして突風が河川敷の砂を巻き上げ、僕のぬれた頬に突き刺さった。

そして僕は途方にくれた。
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by charvy | 2010-02-21 20:28 | 小説

ストーリー「初恋」前編



僕は二子多摩川駅のホームに沢山の荷物をかかえ立っていた。
目の前を通り過ぎる急行電車が春の期待がいっぱい詰まったなまぬるい風を運んできている。

そう、僕は九州の高校を今年の春無事に卒業して、写真を学ぶため横浜の日吉にある写真専門学校に通い始めるのだ。
住むアパートも決まり、初めての一人暮らしのため、親に出してもらった軍資金の範囲内で家財道具を買い集めていたのだ。

僕にとってこの街の印象はもっと都会と思っていたが、都心を少し外れると意外に
今まで暮らしてきた熊本の街とそんなに変わらないので田舎物の僕は少し安心していた。

季節はもう春。電車の車窓から眺めていると多摩川沿いの河川敷では日曜日ということもあり、色んな人がレジャーをやってたりランニング、犬の散歩をしていた。
僕はその風景に写欲がわいた。
僕はさっさと大倉山のアパートに荷物を置き、カメラバッグをかかえ、再び田園都市線に乗り二子多摩川駅に降りた。

僕の右手にはハッセルブラッド。スエーデン製の6×6スクエアフォーマットのカメラだ。
このカメラはファインダーを上からのぞく。
写す側の顔が写される人の方を向いていないので意外とリラックス出来る。
ファインダーに映る映像は天地はそのままだが、プリズムでレンズからの映像を反転しないため左右が逆になる。
そのため、なれるまでは動く物とかを追いかける時、逆方向にパンしてしまいそうになる。
そしてこのカメラの一番の特徴は画面がスクエア、真四角なのである。そのため縦横の感覚がないのだ。
そのため縦横とフレーミングに悩まなくてもよく、たとえば人の全身を撮影するときに、いきなりその人が両手を広げ空を仰いだとしてもフレームアウトすることはないのだ。
それに風景を撮影してもちゃんと空高く上の方まで画面に入り、空の肝心な部分が切れない。
そう言った理由で僕はこのフォーマットがたまらなく好きだった。
フィルムはトライエックス。コダックの定番モノクロフィルムだ。感度がASA400あり動きのある被写体や朝、夕のマジックアワーに手ぶれをせず撮影することが出来るのだ。
そういうことで当時の報道ジャーナリストカメラマンはほぼこのフィルムを増感して使ったいた。

駅の真横を線路にそって国道246が走っている。その反対側の改札を抜け階段を下りたら目の前が多摩川の河川敷だ。
僕はアスファルトの歩道から草の緩やかなスロープ降り、川沿いの細長い草地を歩いた。獣道ならぬ人道が出来ていた。
そこを歩いていると被写体には困らない。犬を散歩させているにはファッショナブルな格好の人や禁止されているのにゴルフの練習を堂々とやっているひと、カップルなのだろうか仲良くお弁当を広げているふたり。
この草地の背中側の土手にはタクシーの運転手が暇そうに車を止めたばこをふかしている。
まさに1985年の長閑な都市風景。
まだ世の中の人間が果てしない欲にあふれ、またそれが発展という希望に満ちあふれ、エコロジーなどという言葉はまだだれも知らない、ある意味やさしい時代だった。


僕はすでに2キロほど下流へ歩きフィルムは3本ほど撮り終え4本目にロールチェンジするため、新しいフィルムを口にくわえ、撮り終えたフィルムをリワインドしていたその時だ。

僕の後ろからいきなりドスンと人がぶつかった。

「いてっ」

「ごめんなさいっ」

2歩ほど押し出され振り返ってみると、そこに一眼レフのカメラを握った女の子が立っていた。

「ごめんなさい、つい撮影に夢中になっちゃって」

今となっては珍しくないが当時、十代の女の子が大きな一眼レフのカメラを首からさげているだけでもおもしろい。

「ぜんぜん、 何を撮ってたの?」と聞くと。

「川の向こう岸とこちら側のグラウンドの前に生えている木までをフレーミングに入れていたら、あそこの鉄橋に電車が走って来たの。今だーって思ってシャッターを切ろうと思ったけれどもう少し引きで撮りたくて後ろ向きに慌ててさがっていたの」

「そうか」こっちに来て初めて同年代の女の子としゃべった。

彼女のカメラに付いているレンズを見ると50㎜の標準レンズ。そりゃさがらなければ端から端まで入らないはずだ。

するとその子が

「あなたも写真撮ってたの?  変わったカメラねー」

「ん、僕は引きの風景じゃなくて、人を絡めた軒先風景というか、そんなの」

「? そうなんだ」わかっているのか、わかってないのか曖昧な返事。

彼女の視線がさっきから僕のカメラに向かっている。

「このカメラ、さわってみる?」

「え~いいの?」

僕は彼女のカメラを受け取り、僕のカメラを彼女に渡した。

「どうやって握ればいいの?」

楽しそうだった。

ハッセルの構え方や動作の一連を教えて、彼女の今、一番近くにいる被写体の僕に彼女はレンズを向けシャッターを押した。

ばふっと音を立てこのカメラ特有のシャッター音がした。

彼女は楽しい喜びの表現としてじたんだを踏んだ。

そしたら今度は不思議そうな顔に。

「のぞくけれどファインダー真っ暗」

僕は巻き上げレバーを巻く動作をした。

彼女はカメラの真横についているレバーを巻き上げた。

「プロみたい。」

彼女はまたステップを踏んだ。


すると土手の向こうから車のクラクション。

迎らしき車が止まっている。若い男が車の窓から手を振っている。

「じゃ。ね。」と言って車に乗って去って行った。

この時、僕は他愛もない出来事として気にはしていなかった。


3月も下旬、専門学校の入学式。
僕は着慣れないジャケットをはおり出席した。
生徒のほとんどが男子だ。
少し予想はしていたが、華のない学生生活になるなーと思っていた。
壇上では写真家でもある土田ヒロミさんが校長としてお話になっている。
学生としては現役写真家が校長を務める学校だから期待は膨らむ。
しばらくして入学式も終わり各コースに分かれて教室に入った。
すると50名ほどの生徒の中に女の子らしき姿を見つけた。
ここからでは後ろ姿しか見えない。
まあー振り返って見たところでと、そんなに気にもしていなかったが、
授業内容の説明が終わって教室を出る時、僕の目にあの子が止まった。

そう、多摩川で僕にぶつかってきた、あの子だ。
ほとんど男子の中にいる彼女は、初めて会った時より断然綺麗に見えた。
僕は掛けより

「よう!」と声をかけた。

「あらー」彼女も驚いている。

「ここに通うんだー」僕が言った。

「この前はごめんなさい」

「いぁなんにも」

この学校の少ない女子学生の中でも彼女がとびっきりかわいい事がすぐにわかった僕は
他の男子生徒より少し優越感だった。

彼女は短髪でボーイッシュ、永井真理子そっくり。耳にはいつもウオークマン。U2のボーノの大ファンらしい。
目はまん丸で笑うとえくぼが綺麗な形でふたつほっぺに咲いていた。
話しを聞くと地元の子で、実家は伊勢佐木町の商店街でなにやらご商売を営んでいる。
まだこの頃は今、目の前にいる彼女に恋心を抱くなど思いもしなかった。

前期の授業が始まった。この学校は座学と実習の繰り返し、おまけに作品も定期的に発表しなければならない。
座学は写真の歴史から現代に至るまでの役割と存在。社会との関係、精神論、哲学にまで及んだ。
僕は眠たくて眠たくて。
しかし実習は違っていた。35㎜の36枚1本のフィルムの制限の中でテーマを決めどれだけ濃い物を撮影出来るかだったり
渋谷で人に声をかけ街角で見知らぬ人のポートレートを100人撮影してくるとか、高校時代から人一倍フィルムを回していた僕には得意げでとにかくおもしろい。
こういった授業もコースが一緒なので彼女と僕はいつも近くにいた。

そうやって調子込んでいる僕にこういう事があった。
実習で生徒同士ペアを組み、相手の色んな表情をアップで撮影をし5枚組でまとめ上げるといった内容だ。
僕はもちろんその子とペアを組みたかったが、関取みたいな太った男子と組むことになり、彼女が組むことになったのは僕が一番警戒していたイケメンの東京野郎だった。
なんせ東京野郎は僕と違ってセンスがいい。
春ももう終わろうとしているのに、地肌にサマーセーターをはおりマフラー?見たいのを首に巻いていた。
あるときはイタリアだかフランスだか忘れたがとても仕立てのいいシャツをさらっと着て胸のボタンと上から3つも外し、そこになにやらネックレスみたいなキラキラを
下げている。もう災厄。というか僕のひがみだ。

撮影場所は何処でもよく、1日自由時間。明日の朝一に暗室で現像を始めればよいスケジュールだった。
彼女とその東京野郎はなかよさそうに学校の外へ。
僕は関取相手に表情など研究して撮影する気もまったくなく、カメラにモータードライブ(1秒間に5~6枚連写する機械)を付け廊下の地明かりで6秒で36枚撮りのフィルム1本連写して撮影を終えた。

次の日の朝、案の定、彼女と東京野郎がニコニコしながら暗室に入って来た。
お互い撮り合ったフィルムを現像してプリントし午後の授業で発表するのだ。
東京野郎に彼女がどんな風に撮られているか気になってしかたがない。
当時、初心(ウブ)だった僕にとって彼女のアップの写真を撮るということは彼女にキスするのと変わらないくらいドキドキすることなのだ。
なので東京野郎が彼女の顔のアップを写すというのはもの凄くいやな事だった。

午後の授業が始まった。みんな四つ切りの印画紙にプリントをし、5枚組にまとめていた。僕は関取を6秒で撮り終えていたので5枚組にまとめようにも同じ顔が続くばかりで作品になっていない。
関取が僕の顔を撮った写真は、嫌々ながらだったが、怒っていたり悲しそうだったり昨日のまんまの僕が写っている。
順番に発表がつづく。僕の順番が来た。先生は僕が撮影した5枚組の写真の表情の変化のあまりのなさにコメントはなく、頭を少し傾げ次の生徒の写真に評論を移した。
それからいよいよ東京野郎の番が来た。今日も仕立てのよさそうなエメラルドグリーン色のシャツをはおり襟を立て、ダンディに無精ひげのエッジを剃り一仕事後のエグゼクティブ気取りだ。
やつが1枚1枚彼女の写真を黒板に貼っていく。
僕は下を向いていたが仕方なく勇気を出してその張り出された写真の方に目を向けた。

するとなんと言うことだ。
そこには僕の想像をはるかに超えた彼女のポートレートが並んでいた。
あまりの衝撃に気を失いそうになるぐらい驚いた。
やつは彼女の胸元ぎりぎりまで服を下ろし、写真ではまるで裸みたいに写っている。
彼女の肩胛骨もくっきり、そして胸の谷間もちょっぴりだけ。教室内が一瞬ざわめいた。
そして1枚1枚の写真の表情もとんでもない。
笑っていたり、見つめていたり、口に力を入れ力んでいたり、口が少しだけぽっとあいたセクシーな表情、最後の5枚目はとうとう彼女は本物?っぽい涙を流していた。
もう完全にやられた!
もう僕は頭がおかしくなる寸前だった。
もちろんゼミの先生からは大絶賛。フレーミングでおでこを切り、ヌーディティな胸元をアングルに入れるなど、その表情をもり立てる空気感がそこにはいっぱい写っていた。

そこにある写真は僕にとって、彼女はもう東京野郎に抱かれたのと同然だった。

言い訳になるが僕の相手はなんの興味の無い関取男子。あまりにも題材モデルに差があるとは思った。僕は彼女の写った写真と作家としてのプライドに沈没した。
東京野郎はさておき、あれだけ写真に惚れ込んで地元を飛び出し横浜まで勉強しに来たのに、女の子に気をとられ写欲は萎えどうしようもない状態だった。

僕はその日、バイトを休みアパートに帰り倒れ込んだ。
一晩が経ち、いつもの水曜日の朝が来た。僕は空ろな目で自分を鏡で見ていた。
昨日ほどの胸の痛みは無かったが、十分に胸は苦しかった。
学校へ登校してみると彼女が楽しそうにみんなとしゃべっている。
その姿を見ていたら、もう少し胸の締め付けるような痛みは減っていった。
そして授業が始まった。今日は写真論の哲学の話だ。
僕の心は十分にやつの写真によって打ちのめされた、とでも授業で発表したい気分だった。
しかしふと、一つだけ気づいた事があった。僕はなぜあんなに彼女の写真をみて心身共に反応したんだろう。

そこで僕は本気で彼女のことが好きになっていたことに気づいたのだ。

それから時が経ち色んなやつが彼女にモーションをかけていた。が失敗に終わっていた。
僕が気にしているのは、いつも教室の後ろで足を組みのけぞっている東京野郎だけだ。
僕は彼女になんてモーションをかけていいか方法論も全く思い浮かんでいなかった。

夏のある日、僕は作品を撮るため伊勢佐木町の商店街にいた。
昔から歴史のある商店街で働いている人の姿を、そのまんまの場所で6×6のカメラでポートレイトしようとしていた。
八百屋さんの店先でねじりはちまきの威勢のいいおじさんの写真やコンビニのバイトの女の子、トラックに重そうにテレビを積み込んでいる電気屋のお兄さん、
托鉢で商店街のお店一軒一軒に祈りを捧げているお坊さん。でかい太った猫を肩に抱いて散歩しているおかまっぽいおっちゃん。
いい感じで撮れている。
今度の発表会はきっといい感じだ。

撮影も終盤にさしかかり、一件の目に止まった古いおもちゃ屋さんがあった。入り口にはガチャポンの機械が並び、その少し奥には箱が日焼けしたプラモデルの箱が積んであり、天井からは無数の玩具アイテムがぶら下げてあった。
僕はすかさず店内に入って声をかけた。

「ごめんください。」

奥では高校野球の試合の音が大きなボリュームでテレビに流れているのがわかる。
しばらくして店の奥から初老のおじいさんが出てきた。

「いらっしゃい。」

被写体的にナイスなおじいさんが出てきた。

「僕は写真の学校に通ってる学生なんですが、作品で商店街の人の働く姿を作品に撮っているのですが、この店先でおじいさんの写真を撮らして頂けないでしょうか?」

すると訪ねて来た理由がわかったおじいさんは急に僕のカメラに目をやった。

「それ、ブロニカね?マミヤね?」

国産の中盤カメラの名前を出した。

僕が「いや、これはハッセルブラッドっていいます。」

すると「これがハッセルかい、初めて見た」

もの凄く興味があるみたいだった。

話を聞くとこのおじいさんは昔、写真が趣味で、当時マミヤの二眼レフでいっぱい写真を撮っていたということだった。

僕はそのおじいさんの話に耳をもっと傾けた。
当時、伊勢佐木町で一位二位を争うくらいの腕前で街の風景や人物写真、花の写真などを撮っていた。
しかし数年前、奥さんを亡くし、世の中に何の興味も無くなったおじいさんは写真も撮るのをやめたという。
奥さんのいない世の中なんて写真に撮っても何の意味もないし、見せる相手もいないじゃなっかとおじいさんは話していた。
僕はそのおじいさんの話に一瞬で目に涙がたまり、もの凄く共感した。

それからというもの、いい写真が撮れたらおじいさんに見てもらいに通った。
おじいさんはここ数年商店街から出たことがないと言っていたので、新宿や池袋、浅草で撮ってきた写真を見せるとおじいさんは大いに喜んでくれた。
そしておじいさんも昔、「街」が作品のテーマだったこともあり、色んな場所の色んな撮影ポイントを僕に教えてくれた。

ある日のこと、いつものようにおじいさんのお店にプリントしたばっかりの写真を見せに行き、お茶をご馳走になっていると狭い店内の入り口に見たことのあるような女の子の姿があった。

「え?」

写真学校の彼女、マドンナだった。

彼女も「なんで?」と不思議そうな顔。

実は彼女、このおじいさんの孫だったのだ。

僕はビックリした。彼女もビックリした。

彼女は写真をやめたおじいさんに写真の学校に行っている事は黙っていたらしい。

僕らは外に出た。

彼女から

「私のおじいさんなの。おばあちゃんが数年前に亡くなってからというもの、あんだけ好きだった写真もやめていつもテレビばっかり見ていて

元気がまったく無く心配していたの。どんなに孫の私が話しかけてもいっこうに変わる気配がなかったの。」

「そうか」僕がうなずいた。

「だから私が写真を勉強して、いい物が撮れるようになったら、おじいさんに見てもらい元気になってもらおうって思ったの」

「そうか」なんて気持の優しい人なんだろう。その時はそう思った。

「写真に興味を持ったのもおじいさんのおかげだったし、しかし最近、おじいさん、少し元気が出てきて楽しそうにしているのでどうしたのかなーって思っていたら、

あなたがそうだったのね。  ありがとう!」

そう言いながら僕の手を握った。

「いやー」僕は照れくさそうに照れた。

それからというもの、彼女との距離は急速に縮んだ。


いつの間にか彼女とは普通に二人で出かけるような関係になった。あくまでも最初は友達として。

一緒にコンサートに出かけたり台風が来ているというのに無謀にも作品を撮りに千葉の房総半島の先っぽに行ったり。

よく飲みにも行った。

そして僕の心が伝わったのか、いつの間にか手をつなぐようになり、いつの間にかキスをするような関係になっていた。

僕の胸元のボールチェーンには彼女の指輪を通していた。最高だった。天にも昇るような気分だった。


学校ではしばらくは二人が付き合っている事を秘密にしていたが、すぐにみんなにばれてしまった。

その二日後の夕方、僕はあの東京野郎に呼び出された。二子多摩川園近くの原っぱに。

時間どおりにやつがつるんでいる仲間3人と計4人で土手を降りて来た。

ただならぬ雰囲気とやつの表情。

いきなり東京野郎が口を開いた

「お前、あの子と付き合っているんだってなー」

僕は黙っていた。

「何とか言えよ」っとやつが言った瞬間、パンチが飛んできた。

僕は中学の時卓球少年だったこともあり反射神経でさらりとかわした。

するとそれがまた感にさわったのか、僕の胸ぐらをつかみ押し倒してきた。

僕は抵抗していい物かまよっていた。

もみあっているうちに、やつの放ったフックが僕の顎あたりをクリーンヒットさせた。

僕は気が遠くなり後ろ向きに倒れた。次にやつは僕に馬乗りになり首のチェーンリングに通した指輪をチェーンごと引きちぎった。

それにはとうとう僕もキレた。どこから出てきた力かわからないが、上に乗っているやつを振り払い、卑怯だとは思ったがやつの髪の毛をつかみ顔面に膝蹴りをお返しした。

やつのすーっと伸びた鼻の骨が折れた。そして僕は前のめりになったやつの首筋に肘でおもいっきり殴った。

この技は昔、軍人用の対人戦闘の本に載っていた必殺技だ。やつはぐたっと前のめりに倒れた。

もうファイティングポーズをやつは返すことはなかった。

無言のままに仲間の3人がやつを慌てて支え去って行った。

僕はそのままその場所で大の字にひっくり帰った。

僕は下の前歯がぐらぐらになっていた。

こういうシチュエーションで対抗するには僕は相手を殴るほど憎んではないので少々時間がかかる。

しかし学校でも日々眼を飛ばし合っていたから今日はいい果たし合いだった。


それからというもの、学校では誰もが認めるカップルとなった。

しかしここで愛でたし愛でたしではない。
ある日、事件、いや事故は起こった。

それは暗室実習のフィルム現像の時だった。
印画紙のプリントの時はオレンジ色のセーフライトを付けているため周りの人間はよく見えているが
フィルムを現像するときは光に敏感なため暗室を真っ暗にする。

前も言ったように彼女とは同じコースなので暗室の授業も一緒だ。
そこで僕はいつも真っ暗で何も見えないことをいいことに、彼女を抱き寄せ実習中にキスをしていた。
周りにクラスメートがいるので大変スリルがあった。

ある金曜日の4限目、いつもの暗室実習だ。僕はいつも通り、彼女とのキスを狙っていた。
合図と共に電気が消えた。しばらくして近くにいたはずの彼女を引き寄せた。そしてキスをした。



何かが違う。

大変だ!僕は違う女の子にキスをしてしまったのだ。

それも彼女の親友の子にだ。

やばい。血の気が引いた。

間違ったと冗談は通じるのか?

実習が終わり暗室から出るなりその子に謝った。

「間違った!ごめん!」

そこで僕はまたミスった。「ごめん」と言えばよかったのに思わず「間違った」を付けてしまったのだ。

その子は僕の顔を見つめて、じゅわっとゆっくりキレて泣いた。

もちろんその場を立ち去るわけにも行かず、その光景におどろおどろしていたら、

そこへ彼女が心配そうな顔をしてやってきた。

「どうしたの?」

僕は情けないがその時は何も言葉に出せなかった。

その頃の僕は調子込んでいると必ずしっぺ返しが来た。

もうその後のことはご想像にお任せする。


それから1年と数ヶ月が経った。
いつの間にかあの東京野郎とも仲良くなっていた。
みんな来春の就職に向けて最後の仕上げをやっている。
中には資生堂の広報部や電通の写真部に内定するやつらが出てきた。

しかしその頃、僕たちの間に変化が訪れていた。

最近の彼女の態度がどことなくぎこちないのだ。
キスをしていてもそれはすぐにわかる。

予感は当たっていた。

後編につづく。
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by charvy | 2010-02-18 00:17 | 小説

ストーリー「いつもの朝、南の島」

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2010年2月2日、僕はいつもの朝を迎えた。
広告代理店の会議に向かうため車を走らせる。
今日は朝から霧が残ったまま日差しをディフューズしていた。

車の窓を開けてみる。サンルーフも開けてみた。
すると、ほかにも車が走っているのだが、霧が音を吸い込み低い地面のロードノイズと歩行者信号のシグナル音だけが響いている。

今回、会議で話す内容はすべて左脳の中にいつでも発射出来るように準備してあるので、会議室の椅子に座るまで頭の中は自由だ。
そして僕の右脳では今朝の霧と空の色、空気の感触を想像することが優先されている。
僕の意識以外のところで、何か想像もつかないものが頭の中で生成されているようだ。


そして思考のマウスカーソルの風車が止まった時、いつも僕はあの人のことを思い出す。



あの人とは、遠い遠い夏の日。南の島へ行くフェリーの船着き場、そして防波堤でのこと。

梅雨が明けたばかりの7月の第3週、その日僕はフェリーに乗り屋久島へ一人旅の途中だった。
行きのフェリーの中の売店で、かしわおにぎりを買い、甲板の先端あたりのベンチでほおばっていた。
しばらくすると誰か、すぐ横のタラップを上がってくる足音がする。
ステップのリズムで男ではないことはわかっている。
足音がだんだん登り詰めてくる。
僕の目の前の手すりをつかもうとする白く細い手が見えた。
そして白い帽子、白い腕、白い服。

僕は息を呑んだ。

白のワンピースをまとい、今まで夢の中でしか見たことがないようなバランスを持った女性がそこに現れたのだ。
まったく知らない初対面な人のはずなのに、なぜか懐かしい。

フェリーの揺れに少しだけ用心しながら僕の目の前をその彼女は通りすぎ、ひさしを支えてある柱にもたれかかった。
竹で編んであるような少し小さめの旅行カバンを脇のベンチに置き、風で帽子が飛ばないように左手で押さえている。
白のワンピースの袖から伸びる白く細い腕の内側の皮膚はもっと白く、夏の光に透けて見えそうだ。

彼女はカバンから500㎜㍑のペットボトルをとり出しキャップを開けてカバンの端に置きお茶を飲んだ。
しばらくするとこのフェリーと同じくらいの大きさの貨物船とすれ違った。
そして波にフェリーが揺れた途端、カバンの端に置いたペットボトルのキャップが僕の前を通り過ぎ、タラップの下の方へコロコロと転がっていった。
僕は無意識にそのキャップを追いかけタラップを駆け下りた。
海に落ちる寸前のところでキャップは止まっていた。
拾い上げてタラップを上がると想像どおり、彼女が申し訳なさそうな表情でこっちを見ていた。
僕が親指と人差し指でキャップを持ち反対の手で無意識で不思議なジェスチャーをしたら彼女が笑った。

その彼女は、もうすぐ屋久島が世界遺産に登録されて環境が整備される前に、屋久島を見に来たかった事と、一つのチャレンジとして山岳ガイドを雇って、縄文杉まで登山をするのだという。
どう見ても片道6時間ほどかかる登山が出来るようには見えないが、登山用品や登山靴はもうホテルのほうへ送ったということだった。
そしてあっという間の船旅が終わって下船準備のアナウンスが。

僕はその彼女がいつ、どの登山口から登るのかを聞く暇もなく舟を下りた。
フェリーから車を降ろし、徒歩客の下船口に回ってみたが彼女の姿はもう何処にもなかった。

しかし今回の一人旅、そんな女性に興味をもつなど言語道断。
僕は一言で言えば、日頃の頭の中のもやもやを浄化するためにこの島に来たのだ。

僕は港の近くのスーパーで買い物を済ませた後、いつものコースで島を時計反対回りにキャンプ場へ向けて車を走らせた。
明日の早朝、荒川の登山口から縄文杉に逢いに行くのだ。

次の日の朝が来た。予定どおり登山決行。
最低限のカメラ機材で軽量化をし、携帯非常用テント、食料などを背中にしょって登った。
山に入るとさっきまで気になっていた女性のことなどどこかへ飛んでいってしまっていた。

片道6時間の登山の末、無事に縄文杉に再会を果たした。
僕は次の日、疲れた筋肉をほぐすため、島を一周しながら点々とある温泉を巡った。
結局、滞在3日間天気に恵まれそうだ。

この島はいつだって光が降り注いでいる。

僕は島で一番のお気に入りの場所、いなか浜の手前の丘の上で車を止めた。
とても気分のいい場所だ。遠く水平線の向こうに黒潮が暖流として島をかすめているのがわかる。
明日は帰る日。3泊などあっという間だ。

最終日の朝、僕は何もすることがないので早めにキャンプ場を出て港に向かった。
正午に帰りのフェリーは出航する。
港の目の前の小さな食堂で、朝ご飯か昼ご飯かわからない食事を済ませて、フェリーの乗船待ちの車の列にジムニーを並べて止めた。
チケットをワイパーに挟みあとは時間を待つだけだ。

しかしまだ乗船時間まで1時間はある。
退屈をした僕は車を離れ港の周りを散歩して回った。
港の反対側に小高い小さな岬があった。
そこへ筋肉痛の足をひこずりながら登っていると、岬の向こう側にもう一つ小さな防波堤が見えた。
その方向へ視線を移すと、そこになんと行きのフェリーで出会った彼女が立っていた。

また僕は息を呑んだ。

僕は彼女のほうへ歩いて行き、あと10歩ほどのとこで彼女もこっちに気付いた。

「あらー、偶然。またお会いしましたね」

と彼女の方から言葉が出た。

「うぁービックリ。また会えたね。僕は今日帰るんだ」

と返した。

「そう。 私はこの島にもうちょっとだけ居たくなって先ほど帰りのフェリーをキャンセルしたとこなの」

「毎年、7月のこんないい季節、第3週の海の日を目標にまたこの島に来たいなぁ」

「なぜ第3週なの?」

と僕が聞いた。

すると

「私、出版社に勤めていて月刊誌なので発売直前の週しか、休がとれないの」

「それと7月の第3週が屋久島の一年で一番晴れる確率が多い日なのよ」

と教えてくれた。

「そう。結局、山には登ったの?」

と聞くと

「ガイドさんと共に山小屋で1泊をして白谷雲水峡から登りほかの下山口まで縦走の。楽しかったわー」

なんという体力。
僕は日帰り登山でも、まだこんなに筋肉痛なのに。

しばらくして彼女が、

「このカメラで私の写真を撮ってくれませんか?」

「ん?」

彼女の片手には、なにやらカメラらしき物を握っている。
折りたたみ式のポラロイドカメラだった。
僕は懐かしいポラロイドカメラを受け取り、彼女の方にレンズを向けた。

すると突然海の方から突風が吹いた。

「キャーっ」

彼女のワンピースのスカートがめくり上がろうとしている。
僕の目の前で慌てて手で帽子とスカートを押さえる彼女がいた。

その瞬間、絶妙なタイミングで僕はシャッターを押した。
オペラグラスみたいなカメラが、まるでおもちゃみたいな音をたててシャッターがおりたかと思うと、前の方から白いまんまの写真が排出された。

そして真夏の日差しの中、30秒くらいで像が浮かび上がってきた。
写真の中の彼女は風のいたずらで、めちゃめちゃセクシーに写っている。
細くバランスがとれた腕、少し内股に構えスカートを挟んでいる細く長い足、彼女の髪、彼女の表情。

僕はこの写真がとても欲しくなり、

「この写真、もらってもいい?」

と訊ねた。

彼女がにこっと笑った。

そして余白に名前と住所、連絡先などを書いてもらった。

何ということだラッキー!

しばらくして、そろそろ乗船時間なので彼女と一緒に港に戻った。
港に止めてあった僕の車に、彼女がすごく反応して興味を持っていた。
しばらく車の前で立ち話。
そして係の人が交通整理の棒で僕に進むように指示を出した。
僕は

「じゃーまた」

と声をかけ彼女に軽く手を振って車をスタートさせた。

彼女はにこっと頬笑み、僕の方を目で追ってくれた。

車をフェリーの中に止め、急いでタラップを駆け上がった。

船着き場に地元の人たちにまざりながら、こっちを見ている彼女が見えた。

そして割と長い時間が流れた。

大きい声で叫ぶにも照れくさくて。

しかもなんて叫べばいいかわからない僕は、そっちを見ているしかなかった。

大きな銅鑼の音でフェリーがいよいよ出航した。

彼女が僕に向かって手をふっている。

僕は彼女を凝視しながら手を振り返した。

僕は密かに彼女に対して再会を約束した。

フェリーは割と速いスピードで防波堤の外に出た。

もう少しゆっくりでいいのに。

防波堤にまだ人が居るのはわかるのだが、誰が誰だかわからないくらい小さくなった。

僕の胸に熱い物が少し走った。

鹿児島港まで4時間の船旅だ。

僕は船の揺れに慣れた頃、甲板でさっき撮ったポラロイド写真を胸のポケットから出してみた。

彼女の住所は横浜だった。下の名前は聡美。

僕は甲板に大の字に寝転び携帯電話にメモろうとした。

するとどこからか真夏の熱い風がフェリーのエンジンのにおいと共に吹いてきて、いきなり左手に持っていた大切なポラロイド写真をタラップの方へふき飛ばした。

僕は「ばッ」と声を上げ起き上がると、ポラロイド写真をタラップの下へと追いかけた。

そこで海すれすれ、落ちる寸前で止まっていなければならないポラロイド写真が、さくの間から海に落ちるのが見えた。

僕はあまりの光景にしゃがみこんだ。

一度は目にした携帯番号も090-32??-????。

思い出せない。

彼女には僕の方から連絡するからと、僕の連絡先は教えていない。

「‥‥‥」

真夏のフェリーの甲板で20ノットの風が吹いていた。

あれから数年、屋久島に行くなら7月のそれも第3週と決めている。

もし再び、あの人と逢えるのなら。




9時ちょうどに会議が始まった。
今回の会議の論点はやる気の見えないクライアントにどうプレゼンするのかというもの。

僕は発射した。思いを込めて。

「そのやる気の見えないクライアント企業を、僕たちがどれだけ愛おしい人のように本気で愛せるかだと思う」と。

何事にも本気で思うことが常に出来るとしたら、またあの人ときっと逢える、、気がする。
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by charvy | 2010-02-09 12:00 | 小説